高校生の頃、陸上がすごく嫌になった時期がありました。
「北風沙織」と聞いて真っ先に思い出すことがある。高校時代の圧倒的な強さだ。インターハイ、国体、日本ジュニア選手権と高校生における主要大会の全てで優勝、3冠を達成した。可愛らしいルックスも相乗効果となって、「北風沙織」の名前は陸上界に一気に広まっていった。それだけに、取材の中で冒頭の言葉が北風の口から出たことは意外だった。高校時代の彼女に一体何が起こったのか。
バスケットボールが好きだった小学生時代
北風の陸上競技生活のスタートは小学校4年生まで遡る。陸上クラブのコーチをしていた父が娘を勝手に試合にエントリーさせたのが始まりだった。100m(4年生の部)に出場し、15秒台で全道で3位に入った。そのままバスケットボールの練習をしながら陸上にも取り組み、5年生でも全道3位、6年生では一気に記録が伸びて全道で優勝した。勢いそのままに全国大会で12秒92を記録し準優勝した。そこで陸上競技が一気に好きになったのかと思いきや、「バスケの方が好きでした」と北風は語る。大麻ミニバスケットボール少年団ではキャプテンを務め、「あの頃はバスケが速さの源でしたね」とあくまでもバスケ中心だった。その生活は中学校に入ってから様子が変わってきた。
本格的に陸上に取り組み始めた中学校時代
小学生の時に夢中になっていたバスケを続けるつもりで中学校に進学した。しかし、周りの期待などもあり中学1年生の夏に陸上に転向する。中学校の外部コーチとして父が指導を行っていたのも陸上転向の大きな要因だ。順調に記録は伸びて、2年生のジュニアオリンピックで準優勝、3年生では全国中学総体とジュニアオリンピックの100mで優勝した。バスケから陸上に転向しわずか2年で全国の頂点に上りつめた。
圧倒的な強さを誇った高校時代の知られざる真実
中学最速の実績を提げて、恵庭北高校に進学。そこで出会った中村宏之監督の指導が北風の才能をさらに引き出した。3年時にはインターハイ、国体、日本ジュニア選手権とタイトルを総なめにした。その実績を聞けば、順風満帆な高校生活だったのだろうと誰もが思うが、実際にはそうではなかったようだ。「高校時代はとにかくやらされ感が強かった」「陸上競技が嫌だった」「脚が太くなるのが嫌でウエイトトレーニングなどもしたくなかった」、高校2年生までの北風はそのようなことを思いながら競技をしていた。女子高生らしく陸上競技以外のことに興味が向かい、きつい練習ばかりの陸上に興味が持てなかった。そもそもバスケの方が好きだった北風は、主体的に陸上競技生活をスタートさせたわけでもなかった。いろんな思いがあり、陸上競技に真剣に取り組めない日々の中で、中村監督に「自分の才能を無駄にするな!」と喝を入れられた。そして高校2年生の冬に北風の転機となる出来事が起こった。祖父が病気で亡くなったのだ。いつも応援してくれていた大好きな祖父を失い、「このままではいけない」とスイッチが入った。中村監督の練習メニューを真剣にこなしていった。高校2年生から高校3年生のシーズンインまでの冬季練習は今までにない充実したものになった。北海道の冬季練習は他地区に比べて長い。それだけにしっかりと基礎を固めることができた。シーズンインをすると一気に全国インターハイ、国体、日本ジュニア選手権と全てに優勝、3冠を獲得した。最速の女子高生スプリンターとして全国に名を轟かせた。
紆余曲折があった競技生活前半
「元祖アイドルスプリンター」「美女スプリンター」など各種メディアで報道され、明るくインタビューに答える高校3年時の北風を見れば、誰もが順風満帆な競技生活を歩んでいると思ったであろう。しかしながら、実際には好きだったバスケを辞めて陸上に転向したこと、モチベーションを失った高校2年時、そして祖父の死から再起したこと。実にいろんなことがあった。その実績やメディアで明るく振る舞う姿からは想像し得ないような心の葛藤がたくさんあった。それらを乗り越え、数々の栄光を掴み、北風は北翔大学へと進学した。ここから波乱万丈な競技生活が待っていようとはその時知る由もなかった。