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骨折しながらも気合いで走った天才スプリンターの真実 – 山本慎吾

山本慎吾
NOBY T&F CLUB

1985年12月28日大阪府生まれ。島本第一中学校、太成学院大学高等学校、同志社大学出身。島本ジュニア陸上教室在籍時に当時の小学生100m日本記録11秒73を樹立。その後、中学1年生の日本記録11秒16をマーク。全国中学総体、ジュニアオリンピック等で活躍の後、太成学院大学高等学校の1年生時には100m10秒55、200m21秒11を記録した。特に200mはサニブラウンハキーム選手が21秒09を記録するまで高校1年生における日本記録を保持していた(現在も歴代2位)。中学生の頃から陸上競技メディアで「天才スプリンター」と掲載されるなど、当時としては異次元の走りで観客を湧かせていた。大学卒業後、一時引退するも復帰。全日本実業団で決勝に残るなど活躍中である。

後にも先にもあんなレースはありませんでした。

天才スプリンター「山本慎吾」は中学時代を回想し、そう語る。小学校時代に日本新記録を樹立し、鳴り物入りで島本第一中学校に入学した。その山本にとって思い出深いレースは、中学3年生の全国中学総体100m決勝だと言う。山本にとってそのレースがどのような意味をもっていたのか、彼の中学時代を振り返りながらその真相に迫る。

中学1年生が出した100m11秒16の衝撃
小学生日本記録11秒73を引っさげて中学陸上界に足を踏み入れた山本は快進撃を続けた。大阪府大会、近畿大会と山本に勝てる選手はいなかった。次々に大会記録を塗り替えた。全国ジュニアオリンピックでは11秒32の大会新記録(1年生の部)。この頃の山本のライバルはすでに同級生にはおらず、中学3年生をライバルとして考えていた。それは陸上を始めた小学1年生の頃となんら変わらない気持ちだった。小学1年生ながら6年生のお兄ちゃんお姉ちゃんスプリンターに勝とうと無謀な挑戦を繰り返し、5年後には日本記録を打ち立てたように、中学に上がっても常にライバルは上級生だった。中学に進学してからは陸上に対する熱はさらに燃え上がり、「めちゃくちゃ練習してた。」と語るように、練習量も増えた。朝練、午後練、自主練、そんな日々が続いた。そして、1998年10月、山本は驚異の記録を打ち立てることになる。

秋の大会に臨んだ山本。3年生の選手で自分より速い11秒1台の選手が何人かエントリーしていた。山本の前のレースでは3年生の選手が11秒前半の記録を出し会場を沸かせていた。その会場にいた多くの下級生選手たちは、やはり3年生は速いなと言わんばかりに見ているだけだったが、山本は違った。

絶対に越したるわ。

一人、ふつふつと闘志を燃やしていた。当時憧れていたデニス・ミッチェル(米国 100m9秒91)のフォームを意識してレースに臨んだ。スタートから一気に抜け出し、周りの選手を置き去りにしてゴールを駆け抜けた。タイマーは11秒16で止まっていた。会場に歓声が響き渡った。中学1年生の日本新記録だった。このタイムは21年経った今でも破られていないどころか、近づく選手すらいない偉大な記録だ。このレースを境に、「山本ならオリンピックで勝負できるかもしれない。」「このまま伸びれば9秒台も目指せるのでは?」という声も上がるようになった。

1999年の富山全中にて 2年生にして200mで準優勝

初動負荷理論との出会い
衝撃のレースの後、小学生時代のコーチから「慎吾、初動負荷トレーニングやらへんか?」と声がかかった。初動負荷トレーニングは今でこそ取り組む選手も増えてきてはいるが、今から20年も前に、しかも中学1年生がそのトレーニングに取り組むのは異例中の異例だった。当時は鳥取でしかそのトレーニングの指導を受けることが出来なかったため、長期休暇の度に山本は鳥取に通った。陸上選手でその頃、初動負荷トレーニングを取り入れていた選手と言えば伊東浩司選手くらいだった。伊東選手の活躍で少しずつ知られ始めてはいたが、聞き慣れない理論に取り組んでいくチャレンジ精神、飽くなき探究心は山本の強みだった。

中学1年生の3月ごろに初動負荷トレーニングを取り入れた後、中学2年生のシーズンがスタート。自己記録を連発した。100mでも10秒台を記録。200mも22秒台前半が出た。体格差の大きい中学生年代において2年生が勝つのは難しいと言われながらも、先輩を差し置いて破竹の勢いで勝ち続けた。大阪に山本ありとの声を轟かせた。8月に富山で行われた全国中学総体では、大会直前に体調を崩し熱がある状態でのレースだった。そのため100mは準決勝で落ちてしまったが、その悔しさをバネに持てる力の全てを出しきり200mで準優勝。2年生としては上出来だった。勝ちきれなかった課題を胸に中学ラストシーズンに向けた冬季練習を積んだ。

2000年、山本の中学ラストシーズンがスタートした。次々に記録を更新し、100m10秒77、200m21秒76と自己ベストを更新した。同学年の塚原直貴(北京五輪銀メダリスト)をも寄せ付けない記録だった。100m、200mともにランキングトップ。優勝は確実、中学新記録を更新することに注目が集まっていた。そんな中で迎えた全国中学総体。家族、陸上部の仲間、友人、クラスメイト、先生、コーチらの期待と応援を胸に、100mの予選、準決勝と勝ち上がった。そして日本最速を決める全国大会決勝。レース前には、仲間たちからもらった応援の横断幕や、応援メッセージを何度も読み返し、力をもらった。優勝、日本中学記録、そんな期待を一身に背負って、スタートの号砲が鳴った。山本が思い切り飛び出したスタートから3歩目、脚の付け根に「バキッ」と音が鳴った。後からわかったことだが、剥離骨折を起こしたのだ。スタート3歩目での骨折は致命傷、普通の選手だったらそこで立ち止まっていただろう。しかし、山本は言う。

この時だけは違った。自分のためだけに走っていたらレースを途中でやめていたと思う。でも、あのレースだけは応援の力が自分を突き動かした。後にも先にもこんなレースはない。

山本は鬼の形相で走りきった。10秒93で3着に入った。結果だけ見れば不本意なのかもしれない。しかし、山本にとって、このレースは一生の思い出に残るものとなった。試合前から、「慎吾、頑張れよ。期待してるよ。」とたくさんの仲間から声をかけられた。学校を上げて応援をしてもらい、友達からもたくさんの応援メールをもらった。それが嬉しかった。自分のために走り続けてきた山本にとって、このレースは20年近く経った今も大切な宝物である。中学生時代に100m10秒77、200m21秒76を記録した山本は、年間を通じて塚原直貴をおさえ、両種目ランキングトップでシーズンを終えた。その実績を引っさげて高校陸上界に乗り込んでいくことになった。その3年間で山本は栄光と、"大きな挫折"を経験することになるとはこの時、知る由もなかった。(続く)


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