東京パラリンピックで世界新記録を狙うスプリンター。骨肉腫との闘いを乗り越えて ー 石田駆

東京パラリンピックで世界新記録を狙うスプリンター。骨肉腫との闘いを乗り越えて ー 石田駆

2020.07.21
2023.12.13
インタビュー

「2021年の東京パラリンピックでは100mで10秒42、400m47秒87の世界新記録で金メダルを獲得したい。そして健常者の大会でも全日本インカレで勝負したいですね。」

そう熱い思いを語ってくれたのは石田駆。今でこそ、明るく前を向く彼だが、2年前の春、彼は絶望の中にいた。中学、高校と陸上に情熱を注ぎ、全中とインターハイに出場。自分の可能性に胸躍らせて愛知学院大学陸上競技部の門を叩いたばかりだった。突然、彼を襲った病魔、骨肉腫。癌の一種だ。苦難を乗り越えて前を向く彼の競技人生を取材させていただいた。

石田駆
石田駆

岐阜県のトップスプリンターとして

400mで岐阜県優勝、全国大会出場を果たした中学時代
400mで岐阜県優勝、全国大会出場を果たした中学時代

私が陸上を始めたのは中学1年生の時です。始めは100mや走幅跳をやっていましたが、どこにでもいるような普通の選手でした。それが2年生の秋に出た新人戦の400mで初めて優勝することができて。もしかしたら自分でも全国大会に行けるかも!と思い、一気にやる気が湧きましたね。3年生の時に岐阜県で優勝し、全国中学総体にも出場することができました。その実績が評価され、岐阜聖徳学園高校から声をかけていただきました。

400mで48秒68を記録し全国インターハイ出場を果たした
400mで48秒68を記録し全国インターハイ出場を果たした

高校に入ってから1年生のうちは慣れない練習でよく怪我をしました。それも2年生になって走りの技術が定着してくると、400mで49秒台が出て、県大会で優勝することができました。新人戦では東海大会で6位入賞。3年生になるとさらに記録を更新し、48秒台を出して全国インターハイに出場することができました。振り返ってみると、全中の経験があったからインターハイにも繋げられたし、高校での3年間は非常に中身が濃かった。大学生になった今でも継続したいと思えるようなとても良い練習が多かったように思います。

チームメイトが400mRでインターハイ優勝!岐阜聖徳学園高校の練習

高校のチームメイトたちと(後列右)
高校のチームメイトたちと(後列右)

自分が3年生の時にチームメイトが400mRでインターハイ優勝を果たしました。うちの練習の特徴としては量は少なめで質が高いということです。強い高校だと毎日300mを何本も走っているというイメージがありますが、うちの高校はスピード練習が多かったです。100mや200m、あとは200m+200mというような練習です。怪我がないように負荷をかけ過ぎず、身体のコンディション優先のメニューになっていました。また、リレーメンバーは100m10秒台後半が2人、11秒台が2人という走力的には他校に劣るチームでしたが、10秒2台や3台のメンバーがいる洛南高校に勝って優勝しました。これは、バトンゾーンで他校に差をつけるという考えで練習に取り組んでいたからこそ、掴むことのできた優勝だったと思います。

愛知学院大学入学、突如襲った病魔


インターハイ出場の実績もあり、愛知学院大学から声がかかりました。他の大学も候補にありましたが、雰囲気がとにかく良かったので愛学を選びました。指導者がいないのも高校時代の練習を継続してやりたかった自分にとっては良かったです。実際に入部してみると良い先輩ばかりで本当に楽しくて。でも、入学して少しした頃に左肩に違和感を感じるようになったんです。病院で検査したところ骨肉腫だということがわかりました。正直、最初はどんな病気かよく分かっていませんでした。しかし、1人になった時にスマホで「骨肉腫」と調べたんです。そうしたら癌だということが分かった。しかもそれで亡くなっている方も少なくない。部屋に閉じこもって泣きましたね。絶望でした。

手術で腫瘍を取り除き人工関節を入れた(左)
手術で腫瘍を取り除き人工関節を入れた(左)

その後、何とか前を向いて、大学陸上部の仲間に告白をしました。手術をして肩に人工関節を入れました。1ヶ月半ほど入院もしました。1年生の12月までは部活ではマネージャー的な仕事をしていました。部活を離れることはしませんでしたね。仲間と一緒にいるのが楽しかったので、それに救われた面もあります。1年生の終わり頃に、ようやく復帰。練習で400mを測ったら57秒以上かかりました。自己ベストより10秒近く遅くなっていましたね。

病気を乗り越えて見えた世界


2019年3月復帰戦として100mを選びました。400mはかなり遅くなっていましたが、100mでは11秒59と思ったよりも良い記録が出ました。これは頑張れば自己ベストも狙えるかもと希望をもつきっかけになりました。そんな時に、周りから「パラ陸上に挑戦してみないか?」との後押しがありました。正直、その時は自分が障害者にあたるということすら自覚していませんでした。調べてみるとT46という上肢に障害があるクラスに当てはまることがわかり、挑戦することを決めました。6月の日本パラ陸上を初戦として400mに出たら50秒39の日本新記録が出ました。続いて7月にはジャパンパラ陸上で100m11秒18、400m49秒89の日本新記録が出ました。100mは病気をする前のタイムより速かったので嬉しかったですね。

2019年ドバイ世界パラ陸上で力走し5位に入賞した
2019年ドバイ世界パラ陸上で力走し5位に入賞した

その実績により9月にはドバイで行われた世界パラ陸上に出場しました。100mでは準決勝敗退でしたが、400mでは49秒44で世界5位に入賞しました。初の国際大会は緊張もありましたし、英語が苦手だったので、召集所とかも困るかと思いきや、案外何とかなりました。試合ではお客さんも多く、カメラも沢山あって世界大会ならではの迫力がありました。とても新鮮でした。JAPANのユニフォームを着ることは自分が望んでいたことでもあったので嬉しかったです。

これからの石田駆


これからの目標ですが、2021年の東京パラリンピックに1番の照準を合わせています。100mで10秒42、400m47秒87の世界新記録で金メダルを獲得したいです。そして健常者の大会でも全日本インカレで勝負したいですね。大学に入ってから病気を通していろんなことが起こりました。まだ再発の可能性もゼロではない。その部分の恐怖もないことはないが、今はやれることをやるだけです。以前、増田明美さんに取材を受けたことがありました。その時に「継続は力なり」という言葉をいただき、大事にしています。

愛知学院大学陸上部の仲間たちへ

明るく絆も深い愛知学院大学陸上部の仲間たちと
明るく絆も深い愛知学院大学陸上部の仲間たちと

私は現在、大学3年生ですが、愛知学院大学の陸上部に入って本当に良かったと思っています。リクゲキで以前取材されていた掛川栞先輩に出会えたのも良かったです。中学時代から一方的に知っていて。愛学にいらっしゃるとは知らずに入部したら栞さんがいて。「こんな凄い先輩と一緒に練習できるんだ!」とテンションが上がりました。私が手術後で走れない時期も、マネージャーのような仕事をしに部活に顔を出し続けたのは、部員たちと一緒にいるのが楽しかったからです。入院中も「早くみんなに会いたい!」と思っていましたね。みんなが楽しませてくれたからこそ、辛い時期も乗り越えられたと思っています。本当に感謝しています。

編集後記

突然の癌宣告ほど辛いことはない。まして19歳の青年がそれを受け止めることなど並大抵のことではない。それでも彼が前を向くことを決めたことに、彼の強い意志力のようなものを感じた。治療に専念して陸上部を続けるか否か、続けるにしても選手に戻るか否かと様々な選択肢があった。その中であえてまた勝負の世界に戻っていき、そして世界パラ陸上出場と昇華していく姿は1人の人間としての器の大きさを感じさせる。まだ若干21歳。これからの彼の活躍が楽しみだ。

INTERVIEWEE

石田 駆

石田 駆

愛知学院大学
岐阜県出身。
各務原市立鵜沼中学校、岐阜聖徳学園高等学校出身。現在は愛知学院大学総合政策学部3年生。中学校で陸上競技を始め、3年時には400mで岐阜県中学総体で優勝、全国中学総体出場。リレーの名門岐阜聖徳学園高等学校に進学後も着実に力を伸ばし、高校3年時には400mで全国インターハイ出場。大学進学後に左肩に骨肉腫が見つかり手術及び長期休養を余儀なくされる。二の腕周辺の筋肉を取り除き、人工関節になったことから、陸上に復帰すると同時に周りからの後押しもあり、パラ陸上に挑戦。2019年ドバイ世界パラ陸上では400m49秒44で世界5位に入賞。400m自己ベストは高校時代の48秒68だが、100mでは手術後に自己ベストを更新し11秒18。東京パラリンピックでの世界記録更新を目標にしている。

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リクゲキ編集部

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