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100m近畿チャンピオンの栄光と苦悩、そして教師という夢に向かって ー 竹本竜也

竹本竜也
岐阜協立大学

和歌山県生まれ。上富田中学校、和歌山工業高校卒。現在、岐阜協立大学スポーツ経営学部在籍。中学校入学と同時に陸上競技を始める。中学2年時に400mRで全国中学総体出場。3年時は激戦の近畿中学総体100mで優勝。また国体では400mRの和歌山県代表として40秒30の和歌山県新記録を樹立。和歌山工業進学後も100mに主戦場を置き、2年時に10秒92を記録するが、度重なる怪我に悩まされた。大学に進学してからは怪我も減り、自己ベストを更新。教員になるという夢と、全日本インカレに出場するという目標を達成するべく日々、勉学と練習に励んでいる。100mのPBは10秒84。

Q1.陸上を始めた中学時代の話を聞かせてください


中学時代のベストは100m11秒09。全国中学総体出場、近畿大会優勝(写真中央)

陸上を始めたきっかけですが、球技ができなかったんですよ。恥ずかしい話ですが、とても不器用だったので。そんな自分でもできるスポーツは何かと考えた結果、陸上部に決めました。初めて出たレースは13秒8だったのを覚えています。どこにでもいるような普通の選手でした。一つ上の先輩に速い人が何人かいて、意識も高いしチームの雰囲気もとても良かった。その先輩たちに必死について練習をしていたら、2年生になる頃には11秒台で走れるようになっていたました。顧問もとても良い先生でしたし、先輩たちのおかげもありリレーで全国中学総体に出場することができました。

振り返ってみると、自分の力を一番出せたのは中学時代だと思います。3年の時は、11秒09まで記録を伸ばし、近畿大会の100mで優勝することができました。全中やジュニアオリンピック、国体にも出場することができました。特に、国体ではリレーメンバーに選ばれ、40秒30の和歌山県新記録を出すことができました。あれは嬉しかったですね。入部した頃にはここまで成長するとは思ってもみませんでした。私の可能性を広げてくれた先生には感謝しています。その先生に憧れて今、中学校教師を目指しています。

Q2.高校時代に印象に残っている出来事を教えてください


和歌山工業高校に進学し2年時に10秒台を記録(写真中央)

高校は和歌山工業の先生からお誘いをいただき進学しました。はじめは和歌山北高校に行こうと思っていましたが、佐藤寛員先生にお誘いをいただけたのが嬉しかったんです。佐藤先生は中学時代に全中で100m3連覇し、高校生の時には日本選手権のファイナリストになったすごい方なんです。だから、そんな先生に「うち来いよ。」と言ってもらえて、、、それで和歌山工業に決めました。

工業高校で女子は少ないですし、全員坊主という決まりがあったので強い選手が沢山集まるという感じではなかったですが、隠れた名門というイメージです。何せ、先生がすごい方だったので。しかし、高校では怪我ばかりで本当に不完全燃焼でした。2年生で県総体優勝、近畿ユース4位、そして10秒台とある程度まではいけましたが、国体前や3年生の最後の夏の前に怪我をして、、、総体にはテーピングをグルグル巻きにして出場しましたが、それで通用するわけもなく高校最後の夏は終わりました。正直、何度も陸上を辞めたいと思ったのが高校時代です。

合宿では日本トップクラスの選手たちから多くの刺激をもらった(写真左)

しかし悪いことばかりではなく、悩み続け、助けられ、支えられたからこそ成長できた三年間でした。怪我をするたび陸上が嫌になりましたが、そこで腐らずに努力してきたことで競技力以外に人間的にも成長できたと思っています。例えば思考力。ベストよりもベターを。佐藤先生は答えではなくヒントを提供してくれたので、速くなるにはどうすべきかを自分で考えることが多かったです。それがものすごくプラスになりました。怪我するたびに原因を考え、復帰後の走りのために陸上と向き合い、先生とは常に二人三脚でした。怪我は大事なことを教えてくれる。欠点はチャンス。身体を動かせなくても、練習を考えるのも練習。成績こそ残せなかった高校時代でしたが、努力してきた過程やそこで培った人間力は永遠に自分の財産です。そしてそれが今の大学生活でも自分の強みとなっていますし、陸上以外でもしっかりと生きています。

Q3.大学に進学してからのことを教えてください


大学の仲間たちと。チームの雰囲気にも設備にも恵まれている

岐阜協立大学は、「強いところで陸上をしたい」「中高保健体育の教員免許を取得したい」という2点で進学を決めました。和歌山工業OBの先輩もいましたし、チームの雰囲気や練習設備もかなり良いのでこの大学を選んで良かったと思っています。

大学に進学してからは良い意味で、陸上だけの生活から脱却しました。もちろん陸上が本業ですが、陸上以外のことも大事。自分は教員を目指しているので、人生のことについてもよく考えています。陸上のことだけ考えている時はプレッシャーを感じていた。中学で近畿ナンバー1になったがために、プレッシャーがとても大きかった。そこから解放されたからこそ今は伸び伸びと陸上をやっていますね。だからとても楽しいです。怪我もほとんどなくなりましたし。

今は、「青春全てをかけた陸上」という位置づけから、「本気の趣味」という捉え方になりました。そう考えるようになってからの陸上は随分と楽しいものになりました。それに、中高時代は先生から与えられたメニューをやることが多かったのですが、大学に進学してからは自分で考えることも多くなった。そのプレセスも楽しいですし、「仮に成績が出せなくても楽しむことはできる」と考えると、心に逃げ場をつくることができてメンタルも安定します。プレッシャーばかり感じていた高校時代から陸上に対する捉え方が大きく変わりましたね。

もう成長期が過ぎ、身体の発達によって記録は伸びない。だからより深くまで考え、研究し、過去の自分を超えなくてはいけない。これは中高生にはなかなか難しいことですし、大人のスポーツならではの醍醐味だと思っています。一年生のときに肉離れをしましたが、去年はベストタイムを更新でき、怪我も一度もしていません。フォームも大きく変わりました。大学に入ってからは数字だけの成績よりも、その試行錯誤がものすごく楽しくなっています。

Q5.岐阜協立大学陸上競技部の魅力を教えてください

明るいチームの雰囲気の中でも切磋琢磨している

岐阜経済大学時代から強い選手も沢山いますし、いわゆる名門校と言えると思います。でも、一般的な名門校と比べて、高校時代には苦い経験をした選手も多いと思います。そのような選手が大きく伸びているのがこのチームの魅力だと思います。設備もすごく良いですし、部員も120名と多すぎず練習もしやすいです。「高校時代に悔しい思いをしたけど、大学では大きく記録を伸ばしたい!」そして、「楽しく陸上をしたい!」という高校生にはぜひ岐阜協立大学陸上部への入部を勧めたいと思います。

Q6.コロナによる自粛期間に陸上競技についてどう考えていましたか

自分の陸上競技に関して言えば、やれることをやる、という感じでした。人がいない時間を見計らって近くの道路とかで練習することもありました。しんどい練習も入れて体力を落とさないようにしました。

中学3年生、高校3年生の「陸上が青春!」と考えているような選手たちには本当に辛い期間になったなと思います。もし、自分が今教師だったら、「陸上だけが全てではないし、今までの努力はきっと財産になるよ。」と伝えたいですね。また、自分自身、高校3年生の時は怪我で棒に振ったので、大学でその時間を取り返している感があります。そして自分らしく陸上ができています。なので、今は辛いかもしれないけど、次のステージでも頑張ろうと情熱をもっていけると良いかなと思います。とは言え、自分が今、大学4年生だったらそうは言っておれないかな、、、と思ったりもします。難しい問題ですよね。

Q7.竹本さんの今後の目標を教えてください

まずは全日本インカレに出場することです。これは個人、リレー両方で標準記録を突破して出場したいです。そして、中高保健体育の教員免許を取得し、教員採用試験に合格することです。これは中学生、高校生の時に出会った先生方に憧れて、というのが大きいです。中学校時代には、始めは13秒8でしか走れなかった自分が11秒09まで記録を伸ばし、近畿大会でも優勝することができた。先生方には可能性を大きく広げてもらいました。だからこそ、自分も子どもたちの可能性を広げられるような先生になりたいという思いがあります。教員はやらせていただけるならどこの県でもやりますが、できれば、地元和歌山県で採用されたら嬉しいですね。地元への恩返しもできればと思っています。

編集後記
中学時代には近畿大会優勝という栄光を掴み、高校時代には様々な悔しい思いを経験してきた竹本さん。そのような人生経験を生かした素晴らしい先生になられるのだろうなという印象をもちました。彼の今後を応援していきたいと思います。
ここからは余談になりますが、絵を描くのが好きだという竹本さん。桐生選手が日本人初の9秒台を出した時に、そのレースに感動した竹本さんは、桐生選手の絵を書いてSNSに公開したそうです。すると桐生選手から直接、返事をいただくことができたとのこと。多才な一面も彼の魅力です。

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