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もう一つのインターハイ”全国高専”にかけた青春 ー 安藤嵩敏

安藤嵩敏

公務員

1996年10月16日愛知県生まれ。豊田市立石野中学校在籍時は野球と陸上の二刀流。また、生徒会長も務めていた。国立豊田高等専門学校に進学後、陸上競技に専念。PBは100m10"94、200m21"91。4年時に、全国高等専門学校陸上競技選手権大会にて400mRと1600mRにおいて大会新記録を樹立し2種目での優勝を果たす。最終学年では、部員50名以上のチームで短距離チーフも務めていた。卒業後、大手企業(東京)へ就職。その後転職し、現在は公務員。Instagram(https://www.instagram.com/takatoshi_ando)

"全国高専"は自分にとっては「一番大きな大会」という位置づけでした。

そう語るのは安藤嵩敏。国立"豊田工業高等専門学校"陸上競技部のOBだ。彼の競技生活についてインタビューする中で、「もう一つのインターハイ」と言われる「全国高専」の魅力を聞くことができた。

「全国高専」とは

高等専門学校の全国大会である。言うなれば、高専生にとってのインターハイであり、それがタイトルにもある「もう一つのインターハイ」と言われる所以である。「高等専門学校」各都道府県に1〜3校(0の県もあり)しかなく、一般的には馴染み深いものではない。多くは"国立の学校"で、学科としてはエンジニアと呼ばれる類の科になる。あえて言い直すのであれば、全国高専大会は「"未来のエンジニア"アスリートのためのインターハイ」とも言えるのだ。

"未来のエンジニアが集う高専"と陸上競技

高専は5年制の学校であり、いわゆる一般の高校3年間に加え2年間長く学校に在籍することになる。それゆえ、高専においては3年生までは高校総体への参加が可能で、中には全国インターハイで優勝したり表彰台に上がる者もいる。また、4〜5年生はインカレへの参加が可能である。こちらも昨年は、伊藤陸選手(近大高専4年)が全日本インカレの三段跳において16m34をマークし、中西正美氏のU20日本記録(16m29)を42年ぶりに塗り替えて優勝を飾った。高専4年生というと大学では1年生にあたる学年である。伊藤選手も制御情報コースでプログラミングを学びながら陸上競技でも結果を残した。また、リオオリンピック日本代表の衛藤昂選手(走り高跳び2m30)も鈴鹿高専の出身である。ハイレベルな選手も高専生の中には数多くいる。

さて、そのような特色を持った「高等専門学校」であるが、その全国大会とは一体どのようなものなのか。

その疑問に対して、安藤が「全国高専の魅力」を話してくれた。

全国高専は、学校のチームの総力戦です。しかも1年生から5年生(15歳から20歳)の幅広い年齢で全国大会に臨みます。つい最近まで中学生だった1年生と、かたや既に成人した5年生が一丸となって大会に臨むのは他にはない「全国高専」ならではの魅力です。

つまり、1〜3年生はインターハイへの挑戦、4〜5年生はインカレへの挑戦をしながら、全国高専大会においては5学年の選手全てが一丸となって勝負に挑むということになる。また、全国大会であることからチームには「自分たちは各都道府県代表として大会に臨む。」との意識もあり、それこそインターハイ並みに盛り上がるのだという。安藤は他の高専生と同じく、そこに青春を捧げてきた。「もう一つのインターハイ」に青春を捧げた彼の競技人生とはどのようなものだったのだろうか。

"陸上との出会い"と"全中を目指す中で起こった悲劇"
安藤は親の勧めもあり、中学入学と同時にクラブチームで陸上競技を始めた。しかし、陸上に対しては「走るだけでつまらない」という印象しかなかったと言う。また、中学校には陸上部がなかったため、消去法で野球部を選んだ。しかし、野球部の中で「足が速い」という強みが見えてきたことと、2年生時に100mで県大会入賞したことから、陸上に対する火がつき、全中を目指すようになる。しかし、3年生になった直後、突然の体調不良で医師からは運動の禁止を命じられ、全ての試合を断念。こうして中学の陸上生活はあっけなく終わってしまった。

国立豊田高専陸上部での5年間
陸上への熱も冷めた状態で高専に進学した安藤。「テニス部にでも入ろうかと思っていた。」と話す彼だが、一応陸上部にも見学に行ったところ、先輩がラダーを熱心に教えてくれた。このことが安藤の心を動かし、その場で陸上部への入部を決めた。しかし、一度冷めた熱はそう簡単には戻ってこなかった。もちろん先輩が組んでくれたメニューに対してはがむしゃらに頑張っていたつもりではいたが、本当にきつい練習の日には、「接骨院に行く。」と言い、練習から逃げたこともあった。当時は、自分のやりたいことをやり、やりたくないことはやらないという陸上への取り組み方だった。

そんな生活も1年が過ぎ、2年生時の全国高専大会での出来事が彼の陸上競技への取り組みを大きく変える。福島県で行われた全国高専大会に安藤はリレーメンバーの一人として臨んだ。自分だけが2年生で、他は上級生だった。先輩たちの全国高専にかける思いに触発され、何度も何度もバトン練習を繰り返した。

一生懸命頑張っている先輩たちを見て、初めて「人のために走ろう」と思った。

安藤はエース区間である2走を任されていた。しかし、決勝で悲劇が起こった。1走の先輩からバトンの受け取りに失敗し、バトンを落としてしまったのだ。初めて「人のために走ろう」と思えた大会で、あろうことかリレーで取り返しのつかないミスをしてしまった。そこからは悔しさをバネに目の色を変えて練習に取り組むようになった。

3年生では怪我に悩んだが、400mRで全国高専優勝。そして4年生時には400mR(冒頭の動画)、1600mRの両方を大会新記録で優勝し、個人でも100m、200m共に決勝へと進んだ。


4年時の全国高専1600mR 大会新記録で優勝した ※クリックで動画視聴

自分個人の記録よりもリレーにピークを合わせていた。

2年生での失敗から、個人種目よりもリレーに重きを置くようになっていた。1年生の頃にきつい練習から逃げていた自分はそこにはいなかった。大会の後、短距離のチーフにもなった。そして高専生としての最後の一年をチームのリーダーとして迎えた。今までは自分のことだけを考えて、先輩から与えられたメニューを只々がむしゃらにこなしていれば良かった。しかし、短距離チーフとなり、チーム全員について考えるようになった。「速い子、遅い子、悩んでる子、全てに気を配ったし、練習では厳しいメニューもみんなを引っ張る気持ちで、全て全力でこなした。」と語るように、この頃には責任感が彼を突き動かしていた。そして、同時にこんな思いも持つようになっていた。
「高専に入ってからというもの、気づけば陸上競技が好きになっていた。」
良い加減にやっていた時とは違い、真剣になればなるほど陸上競技の魅力に惹かれていったのである。

全国高専で優勝を勝ち取った仲間たちと(右から二人目)

最後の全国高専大会
短距離チーフとして最大の目標としていた最後の大会を迎えた。47都道府県の持ち回りで行われる全国大会だが、奇跡的にも安藤の最後の全国高専は愛知県で行われることになっていた。最高の舞台が整っていた。自分が引っ張ってきたチームで、400mR3位、1600mR5位、100m、200mも決勝に残った。特に200mでは自己ベストを更新し21秒91で4位に入ることができた。実はこの時、日々の練習を手を抜くことなくハードにこなしてきた安藤の足は悲鳴を上げていた。脛骨に日々が入った状態で練習を続けていたのだ。痛み止めを飲んでも眠れず、歩けないくらい痛みが伴う状況の中での自己ベスト。「全国高専」にかける思いがあってこそ成し遂げることができたことなのかもしれない。それは安藤にとって大きな価値のあるものとなった。こうして「もう一つのインターハイ」にかけた青春は幕を閉じた。

短距離チーフとして精一杯やり切りました。引退した後も、後輩が練習メニューの相談をしに来たり、頼ってくれた時には、頑張ってきて良かったなと思いました。

中学生、高校生であれば3年間、大学生でも4年間でチームからは引退していく中、高専というのは5年間かけてじっくり成長していくことのできる特殊な環境なのかもしれない。エンジニアの卵として勉学もハードで、そもそも陸上を第一優先にして入学してくる生徒も少ない中、苦労も多いと思うが、5年間かけてチームを作り上げていく高専ならではの熱い青春があるのは間違いない。

今回、安藤の取材を通して感じたことがある。それは、

全国高専は最終学年の選手にとっては5年間の集大成であり、そこには他のどのカテゴリにも負けない熱さがある。

ということである。そんな「もう一つのインターハイ」で生まれる熱い物語をこれからも追っていきたい。

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