400mファイナリストの熊谷選手。難病から得た「夢」と今後の取り組み

400mファイナリストの熊谷選手。難病から得た「夢」と今後の取り組み

2024.09.07
2024.09.07
インタビュー

2023年日本選手権女子400mでは決勝に進出した熊谷遥未選手(青森県スポーツ協会所属)。

彼女は過去に難病・バセドウ病と診断され走ることを諦めかけたこともありました。


前編では、そんなバセドウ病や怪我など数々の困難を克服しつつ、「速く走る」という目標に向けて日々努力してきた内容を紹介しています(前編記事は下記のリンクをクリックしてご覧いただけます)

走れる「だけ」で感謝。バセドウ病と向き合いながらトラック1周を駆ける社会人スプリンター

今回の後編記事では、熊谷選手が最近公表されたバセドウ病の再発や、それらの挫折から得た教訓、そして「夢」についてをお話しいただきました。

バセドウ病の再発

高校1年生の時に経験した症状が再び現れ、病院での診察の結果、バセドウ病の再発が確認されました。
このため、思うように練習ができず、走力も伸び悩む日々が続きました。


しかし、「どうしても日本選手権に出場したい」という強い意志を医師に伝え、薬で症状を抑えつつなんとか出場を果たしました。


結果は満足のいくものではありませんでしたが、「無事に走り切れたこと」「走れることに感謝する」という気持ちを持つに至りました。

日本選手権後、再び病院で診察を受け、二度目の運動禁止を言い渡されました。覚悟はしていたものの、仲間のタイム表や試合結果を見て悔しさや羨ましさを感じることも多く、それらに加え体調が優れず運動など程遠い日々、薬の副作用で寝られない日々も続きました。しかし、病院の先生方や家族、友人、企業の方々、仲間たちの支えがあり、心が折れそうな時でも諦めずに前を向くことができました。

現在、競技復帰とは言えませんが、ようやく少しずつ走ることができるようになりました。

今年の目標は、まず健康を取り戻し、仲間と共に練習を楽しむこと、そして笑顔でスタートラインに立つことです。その日が一日でも早く訪れるよう、諦めずに頑張りたいと思います。


挫折には意味がある

病気や過去に経験した怪我など度重なる挫折で、自分は陸上競技に向いていないのでは?と悩んだことがあります。

しかし、全ての挫折には意味があると思います。怪我は体からの信号と捉え、自分を見つめ直す時間とし、その時にできることに集中して他の人とは違うアプローチの仕方で強くなろうと努めてきました。病気を通じて、「当たり前に走れることに感謝をする」という教訓を得たことも大きな学びです。

多くのアスリートは、休むことを恐れていると思います。私もその一人でした。休むことで衰えてしまうのではないか、周りと差が生まれてしまうのではないかと不安に思っていました。しかし、休むこと、そして休む勇気を持つことが練習と同じくらい大切だと感じています。

身体も心も一つしかなく、常に100%でい続けると、どこかで壊れてしまうはずです。また、心と体が噛み合っていなければ、良いパフォーマンスも発揮することは出来ません。

「やらなきゃいけない」ではなく、「やりたい」と思えるまで休むこと

自分の体と心に問いかけ、自分のペースで進めること

この二点を陸上選手の方々は忘れずにいて欲しいです。

今回の病気も、自分を追い詰めてしまった結果だと捉え、今は休む時間を大切にし、自分を客観視して見つめ直し、再び走れる喜びを感じるための時間だと思って過ごしています。

強さの秘訣は練習ノート

熊谷選手の練習ノート

高校1年生の頃から毎日練習ノートを書き続けています。

頭の中で整理するのが苦手なため、書き出すことで日々振り返りをしています。

頭の中で考えていることを言語化する、文字に起こすということで、インプットしたものをアウトプットし、練習の質向上に繋がってます。

陸上選手の皆さんはそれぞれ、独自の練習の振り返り方法をお持ちだと思いますが、私はこの練習ノートを陸上競技と共に8年間続けられたことが、今の自信に繋がっています。

 

感謝を伝えたい人


私は周りの方々に恵まれ、数え切れない程の感謝を数え切れない程の方々に伝えたいですが、その中でも一番に
感謝を伝えたいのは「家族」です。

今回の病気の際ももちろん、どんな時でも一番の味方で一番に応援してくれる家族には感謝し切れないほど感謝をしています。

高校一年生の頃病気が発覚し、陸上競技が出来なくなった時、お母さんに「こんな体に産んでごめんね」と言われました。

その時には何も返せなかったのですが、今は戻れるのであればこう伝えたいと思っています。

「全然可哀想なんかじゃないよ。
病気を通じて多くのことを学び、病気が私を強くしてくれた。
神様が私に意味のある病気を与えたと思うよ。夢や目標を見つけさせてくれてありがとう」

と、心からの感謝の気持ちを伝えたいです。

 

病気から得た夢の実現に向けて。

病気を経験して私は二つの夢を抱くことが出来ました。

一つ目は
病気で悩む方々や困難に直面している方々を始め、多くの方に少しでも勇気や希望を与えられる存在になりたい
という夢です。

かつて、私自身もアスリートの方々やメディアに助けられた経験があります。

そのおかげで、今度は自分が誰かの役に立ちたいと考え、病気や困難などに直面している方々にメッセージを届ける「渡し船」のような存在になりたいと強く思うようになりました。

今回のバセドウ病の公表も、まずは自分自身を伝えることが重要だと思い発信を決めました。
自分のことを公表することに対して、不安を感じています。

「病気を持っていて可哀想と言って欲しいだけではないか」
「結果が出ないことの言い訳をしているのではないか」
「結局は注目を浴びたいだけなのではないか」

そんなマイナスの声があるかもしれません。

それでも、このメッセージは私にしか伝えられないものであり、だからこそ発信する意味があると思っています。たとえ100人が否定的な意見を持ったとしても、私の思いを伝えることで前を向ける方や、勇気や希望を持ってもらえる方が一人でもいれば、それだけで十分だと思っています。そのため、勇気を振り絞って今回、自分の思いを発信することに決めました。

SNSの発達により、誰がどこで何を目にするかは予想出来ません。

今回このように記事を書かせて頂けたのも、競技を続ていたことはもちろん、リクゲキの佐藤さんのSNSを見たことでチャンスを得ることができました。

何がどこでどのようにチャンスに繋がるかは分かりませんが、自分にしかできないことがあると信じ、不安や恐怖に打ち勝って挑戦し続けたいと思います。そしてSNSには拡散力があるからこそ一つ一つの言葉、行動に覚悟と責任を持つことを忘れずにいたいです。

2つ目は
陸上競技を有名にする、多くの方に応援されるスポーツにする
ということです。

私は現在22歳で、まだ大した結果を残すことも出来ていません。

しかし、将来的には陸上競技をもっと応援されるスポーツにしたいという強い思いがあります。他のスポーツと比べて結果を残せていないと言われてしまうかもしれませんが、結果を残すためにはまず適切な環境が必要だと考えています。

また、私の周りでも大学卒業後も競技を継続したい思いがある中、続ける先がない選手や仕事との両立に悩んでいる選手を始め、競技人生を終えた後のセカンドキャリアに困っている選手がいることをよく耳にします。

そのような環境も改善していけるように微力ながらも私に出来ることを探して積極的に取り組んでいきたいと考えています。

次は陸上選手の「縁の下の力持ち」に

今回、リクゲキの記事を通して、私の体験や想いを皆様にお伝えできました。これをきっかけに、今まで積極的に活用していなかったSNSを利用して発信し、陸上競技発展の一助にしたいと考えています。

リクゲキとの出会いをチャンスと捉え、このチャンスを逃すまい!と、今後は私自身がリクゲキのライターとして多くの陸上選手を取材していきたいと考えています。

それぞれの選手の想いやこだわり、目標など、なかなか自分自身で発信できないことをお手伝いすることで、選手のモチベーションアップにもつながると思っています。

そんな縁の下の力持ちになりたいと思っています。

まだどれも「夢」の段階です。
まずはこれらを
「目標」に変えられるように頑張りたいと思います。

自分と同じ病気を抱えている方、その他にも病気や怪我をして苦しんでいる方々をはじめ、思うように結果を出せていない選手に少しでもこの記事をを読んでいただき、勇気や希望、陸上競技をもっと多くの方に知って頂き、応援して下さる方がいたら嬉しいです。

INTERVIEWEE

熊谷遥未

熊谷遥未

青森県スポーツ協会
熊谷遥未(くまがえはるみ)
2001年11月16日 東京都出身。
田園調布学園を経て法政大学に進学。
中学より陸上競技に取り組み、2023年の日本選手権では、女子400m決勝進出という実績を持つ。
自己ベストは100m12.11/200m24.44/400m54.64(2024年8月現在)

WRITER

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佐藤 玄主

1999年11月20日 兵庫県芦屋市出身。市尼崎高校出身。 毎年1月10日に兵庫県西宮神社で行われる「開門神事福男選び」において1番福を獲得。 現在は、一般社団法人おんげんの代表として、日本文化を活用したコンテンツ造成や企業プロモーションに傍ら、リクゲキの運営に取り組む。