走る力で、輝く舞台へ――陸上×芸能 二刀流の挑戦

走る力で、輝く舞台へ――陸上×芸能 二刀流の挑戦

2025.09.30
アスリートの君へ

助っ人だった私が、世界を目指すアスリートへ

中学校に入学した私は、バドミントン部の一員として、毎日ひたすらシャトルを追いかけていました。
そんなある日、長距離走が得意だったこともあり、駅伝大会に“助っ人”として急遽出場することに。それが、私の人生を大きく変える運命の一歩になりました。

レース後、陸上部の先生から「来年の春、試合に出てみないか?」と声をかけられたのです。
バドミントンが大好きだった私は、陸上へ転向するつもりはありませんでしたが、軽い気持ちで出場した春の県大会で、まさかの優勝

それは、自分でも驚くほどの出来事でした。
それまで様々な習い事に挑戦しても結果を出せなかった私にとって、自分にも輝ける場所があるかもしれない”と初めて思えた瞬間でした。

その後は、ジュニアオリンピックや都道府県駅伝など、さまざまな大舞台に挑戦。
いつしか“走ること”に夢中になっていました。

陸上一本で挑んだ高校時代

本格的に陸上と向き合うため、比叡山高校へ進学しました。
中学時代はバドミントンと両立していた私にとって、“陸上一本”の生活は想像以上に厳しく、慣れるまでに時間がかかりました。

1年生の頃は、憧れの先輩の背中を追い、真似をして、がむしゃらに走る日々。
それでも少しずつ、“自分もこのチームの一員なんだ”という自信と自覚が芽生えていきました。

2年生になると、入学当初からの目標だった“インターハイ出場”を自らの力で掴み取り、全国大会の舞台に立つことができました。
この経験は、自分の中で確かな成長を実感できた大きな一歩でした。

そして迎えた3年生。チームの柱として、後輩たちの手本になるように日常生活はもちろん、練習にも全力で取り組みました。
結果として、1500m3000mの両種目でインターハイに出場。3000mでは決勝まで進むことができました。
ひたむきに積み重ねてきた努力が、ようやく自信に変わった瞬間でした。

自分が本当にやりたいことは何だろう?

高校3年生。進路を考える時期に差しかかり、私はある問いと真剣に向き合っていました。
「自分が本当にやりたいことは、何だろう?」

悩み抜いた末、たどり着いた答えは――芸能界で活躍したい”という想いでした。

実は、私は4歳から小学6年生まで子役として芸能の世界に身を置いていました。
一度は離れた世界。しかし、心のどこかでずっと忘れられずにいました。

だからこそ、陸上という“武器”を手に、もう一度夢の世界へ挑戦しようと決意しました。

陸上も演技も、本気で挑む大学生活

陸上と演技、どちらにも本気で向き合える環境――それが、大阪芸術大学でした。

高校時代叶わなかった、全国大会で入賞することを目標に入学しました。

入学後の生活は、想像をはるかに超えるハードな日々。
5:30に起きて練習、自炊。そして、歌やダンスの授業、夕方から再び練習。帰宅後は家事と授業の復習。
自分の時間などなく、体力勝負の毎日。練習日誌を書く時間さえ惜しく、睡眠を優先する日々でした。

それでも1年目には、全日本インカレで入賞。目標を1年生ながらもすぐに達成することができました。
しかし、順調に思えた矢先、12月に中足骨を疲労骨折。人生で初めての長期離脱と挫折を経験しました。

それでも腐らず練習の時間はもちろん、少しの隙間時間でも補強トレーニングを行い続けました。その結果、2月後半には怪我から復帰、そして、3月には再び試合に戻ることができました。

見えない壁、でも諦めなかった

怪我から復帰し練習も前のように行えていたにも関わらず、成績が伸び悩み、“見えない壁”にぶつかりました。タイムも伸びず、体型のコントロールもうまくいかず、苦しい日々。

それでも“練習の質だけは落とさない”と心に決め、黙々と努力を積み重ねました。
時には思い切って陸上から距離を置き、オンとオフをしっかり切り替えながら、心のバランスを保っていました。

その努力が実を結び、富士山駅伝では2区で区間賞を獲得。ようやく、光が差した瞬間でした。

世界への扉が開いた、大学最後の年

3年生では大きな記録こそ残せなかったものの、地道な努力が実を結び、ユニバーシアードの代表に選出されました。
中止となった前年度の悔しさを胸に、強い気持ちで挑んだ結果でした。

そして大学4年生。キャプテンとしてチームを引っ張りながら、ユニバーシアードで優勝。
“全国大会で入賞する”ことが目標だった私が、世界の舞台で金メダルを獲得。
想像をはるかに超える成績を残し、自信が得られた試合でした。

陸上が導いてくれた、もうひとつの夢

3年生の富士山駅伝での実況中継で、私の“芸能の夢”について紹介していただいたことがきっかけで、ありがたいことに松竹芸能と出会うことができました。

現在は、松竹芸能、そして陸上を続けながら夢の両立ができる「ユニバーサルエンターテインメント」にも所属させて頂いています。
陸上にしっかりと向き合える環境のなかで、自分を磨き続けています。

苦しかった社会人1年目、そして今

社会人1年目は、思うように走れない日々が続きました。
体調も優れず、自分にプレッシャーをかけすぎてしまい、心身ともに疲弊していました。
「今日は8割でいいよ」と言われても、その8割の力がわからず、全力で取り組んでしまい、そんな自分に苦しんでいました。

しかし、そんな私にそっと寄り添ってくれた先輩方の存在や、そんな先輩方と挑んだ駅伝で悔しい思いをしたことがきっかけで、再び前を向くことができました。

そして、今年はようやく自分の走りが出来るようになってきました。焦らず自分のペースでこれからも頑張り続けます。

そして、未来へ――

今の私の目標は、もう一度日の丸”を背負って、世界の舞台で走ること。

そして、陸上を通じて、“楽しさ”を届けられる存在になることです。

長距離選手というとストイックなイメージがあるかもしれません。しかし私は、“楽しむこと”を忘れずに、競技と向き合っていきたいです。演技やSNS発信にも挑戦しながら、自分らしく、見る人を元気にできるような存在になりたいと思っています。

もちろん、時にはネガティブな声も届きます。
しかし、それ以上に応援してくれる人がいる。その人たちに届くように、これからもまっすぐに、進んでいきます。

最後に伝えたいこと

陸上競技は、走る・跳ぶ・投げる、というとてもシンプルなスポーツです。
だからこそ、極めるには“自分と向き合う力”が必要になります。

ただストイックになるのではなく、自分を理解し、時には甘やかすことも大切です。
そうやって、多くの方には自分らしく楽しめる競技人生を歩んでほしいです。

私も陸上と夢、その両方に、全力で挑戦し続けます!

 

※本文中の掲載写真はご本人よりご提供いただきました。

INTERVIEWEE

北川 星瑠

北川 星瑠

ユニバーサルエンターテインメント
北川 星瑠(きたがわ ひかる)
滋賀県出身。比叡山高校、大阪芸術大学を経て、ユニバーサルエンターテインメント所属。
高校時代の最高成績はインターハイ決勝進出。大阪芸術大学進学後、着実に記録を伸ばし、4年時にはユニバーシアードで優勝を果たす。
幼少期には芸能活動を行い、一度は諦めた夢を再び追うため、松竹芸能へ所属。
現在は、世界を目指すランナーとして競技に挑みながら、芸能活動にも励む“二刀流”アスリート。

WRITER

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熊谷遥未

2001年11月16日東京都出身。田園調布学園を経て法政大学に進学。2023年の日本選手権では、女子400m決勝進出という実績を持つ。自己ベストは400m54.64(2024年8月現在)。現在は、青森県スポーツ協会所属の陸上選手として活動する傍ら、2024年9月より陸上メディア・リクゲキの編集長を務める。