走るのは選手。しかし、チームはそれだけでは強くならない。
主務2年目として迎えたこの一年、見える景色は昨年とはまったく違っていた。
悩み、葛藤し、時に厳しい決断を重ねながら、チームと本気で向き合った日々。
支える立場だからこそ知った責任の重さと成長。
箱根駅伝へと続く舞台裏にあった、覚悟の物語です。
以下、昨年の記事です。あわせてお読みください。
https://rikugeki.com/rikulog/kanagawa01/

この1年間で最も成長したと感じること
昨年まではまだ3年生という立場で、上級生が意見を言いやすい環境を作ってくれていた反面、キャプテンに頼ってしまう場面も少なくありませんでした。まとめる力は自分よりもキャプテンの方が圧倒的で、“任せてしまっている”という自覚もありました。
しかし今年は、主務として最後の一年を迎える中で、自分から働きかけてチームを動かす意識が生まれました。

“言いすぎれば選手の自立を奪ってしまう。しかし、言わなければチームは変わらない”
その狭間で悩みながらも、キャプテンを立てつつ、裏でそっと働きかける。そのバランスこそ、この1年で最も成長した部分だと感じています。
昨年の経験が今に生きている
昨年は初めての主務で、常に緊張し、張りつめていました。
“先輩に迷惑をかけられない、自分がついていけるのか”そんな不安ばかりでした。
しかし、今年は大きな余裕が生まれました。予期せぬアクシデントが起きても、昨年の経験があるからこそ落ち着いて動けた。臨機応変に対応し、考えて動けるようになった自分がいます。
チームの成長を感じた瞬間
昨年、箱根を走ったメンバーが全員残り、さらに昨年走っていない選手が主力として台頭してきた今年。怪我で苦しんできた選手たちも復活し、チーム全体の走力は確実に底上げされました。経験値と新戦力、どちらも揃ったことで、チームは大きく成長したと感じています。

1年間で変わった“チームの空気”
この1年で特に変えたのは、“チームが何を課題としているか”を言語化する習慣でした。ミーティングの回数を増やし、「今のチームに何が足りていないのか」「どうすればもっと強くなれるのか」を、学年を超えて正直に出し合う場を作りました。
また、月・木には各学年代表が集まってミーティングを実施。全日本大学駅伝予選会で敗れた後には特に深い話をし、箱根駅伝予選会で得た課題も共有しました。
去年よりも強いチームになるために。“発言する文化”を作れたことが、今年の一番の変化でした。

取り組んだ改革と、伝え続けた言葉
どうしても大きな試合に絡めない選手との意識差は生まれやすいもの。細かい練習の雰囲気や発言の姿勢など、時にチームとしてのまとまりが欠ける場面もありました。
そこで意識したのは、何度同じことを言っても、繰り返し伝えること。優しく伝える日もあれば、強い言葉で引き締めることもありました。
ただし、怒るのではなく、“その選手に合った言い方”を模索し続けました。
主務として心がけてきたこと
▪️選手とのコミュニケーション
選手の意見を尊重しつつ、スタッフの意図も噛み砕いて伝える。ただ言われたことを渡すのではなく、意味を添えて、理解につながる形で届けることを意識しました。1・2年生には積極的に声をかけ、怪我の選手、意識が低く見える選手にも分け隔てなく接するようにしました。

▪️スタッフ陣との向き合い方
スタッフからの厳しい言葉に戸惑う日もありましたが、“監督が言っていることを素直にやればチームは強くなる”その確信を持って、自分の行動にも自信を持って取り組んできました。
今年のチームを語る 上下関係を超えた“仲の良さ”
リスペクトを保ちつつ壁が少ない、今年のチーム。舐めているわけではなく、自然と距離が近い。困っている選手がいれば支え合える。そんな“雑草軍団”らしい粘り強さがあります。
また、同期はとにかく全員が仲がいいです。誰もが発言し、支え合い、気づけなかった部分を補い合ってきました。“このメンバーで良かった”心からそう思える同期です。

この1年で成長したと感じる選手
主将の酒井です。
酒井は、学年目標として掲げた“背中で語る”ということを体現した男です。5000m、10000m、ハーフすべてで自己ベストを更新。走りで引っ張り、練習でも妥協しない姿に、チーム全体がついていった1年でした。口下手ながら言うべきことは言い、監督と選手の間に立って支えてくれた、頼もしい存在です。
“嬉しかった瞬間”と“悔しかった瞬間”
一番嬉しかった瞬間は箱根予選会の通過。“自分の代で箱根を落としたくない”その思いだけでこの一年動き続けてきました。1秒、3秒で箱根駅伝への切符が届かないことを間近で知った昨年・一昨年の経験。だからこそ、今年も1秒を削り取る練習にこだわり、ラスト2kmの絞り上げにも取り組んできました。だからこそ胸がいっぱいになりました。

一番悔しかった経験としては、昨年の箱根駅伝、今年の全日本大学駅伝予選会です。
今年は“全日本大学駅伝でリベンジ”を掲げていたからこそ、目標を達成できなかった悔しさが残っています。それは、練習前後の行動や食事など、細かい部分の意識の甘さがチームに残っており、“どこかで行けるのでは”という空気を断ち切れなかったのが原因だったと反省しています。主務としての力不足を感じた瞬間でもありました。
忘れられない選手の表情
4年の西坂は、今まで箱根駅伝の本戦・予選会の中心を担ってきた選手でしたが、今年の予選会では怪我で外れることに。
“チームのために外してください”そう言われた時の表情は忘れられません。
予選会当日、誰よりも大きな声で応援し、結果に対して誰よりも早く涙を流していました。走った選手に「安心した」「ありがとう」と声をかける姿、そしてその言葉に込められた思いに、胸が熱くなりました。

そして副主将の塩田は、箱根駅伝予選会突破において、1番の功労者でした。
しかしそのわずか2週間後、仙骨の疲労骨折が判明し、歩くことさえ厳しい状態に。
そこから約1ヶ月半、できる限りのことを尽くしましたが、メンバー選考の練習で離れてしまい、箱根駅伝のエントリーから外れる結果となってしまいました。
その練習後に見せた涙は、今も忘れられません。
立場上、一人の選手に情をかけすぎてはいけないと分かっていながらも、1年生の頃から共に過ごし、今年ようやく結果が出始め、“箱根を走ってほしい”と心から思っていた選手でした。
あの時の表情は、思い出すだけでも胸が苦しくなります。
声をかけられて嬉しかった言葉、主務という役割の魅力
怪我の選手や3・4年生が「こんなにやってくれてたんだ」「星がいてくれて良かった」
そう言ってくれた時、主務としての苦労が報われる気がします。

主務という役職は、選手では味わえない世界があります。メディア、メーカー、社会人の方々との関わり。
学生では得られない言葉の重みや、立ち振る舞いを学ばせてもらいました。主務でなければ出会えなかった景色が、確かにありました。
最後の箱根駅伝へ
最後だからこそ、不安もあります。それでも、不安以上にワクワクしていて、“シードを獲る”という気持ちが強くあります。4年間が終わるのは寂しいですが、最後の一日を、このチームで迎えられることがとにかく嬉しいです。
4年間を一言で
「苦しい時もあった。でも……楽しかった。」
怒られることも、辞めたいと思ったことも、ストレスやプレッシャーで押しつぶされそうになったこともありました。それでも、同期と、後輩と、一緒に笑い合った時間は、何ものにも代えられない宝物です。

最後に──選手へ、チームへ、そして応援してくれる方々へ
◆選手へ
4年生には、とにかく楽しんで走ってほしいです。気負いすぎず、純粋に走ることを楽しんでほしいです。そして走れない選手へも、“最後まで走ってくれてありがとう”。心からそう伝えたいです。
◆監督へ
主務になったタイミングで監督が代わり、2年間ずっと近くで学ばせてもらいました。
厳しい言葉の裏にある想いを信じ、ついてきて本当に良かったです。
大手町で直接「ありがとうございます」と感謝を伝えたいです。
◆応援してくれる皆さんへ
差し入れ、声援、さまざまな支えをいただきました。結果で恩返ししたいですし、どうかこれからも応援していただけたら嬉しいです。

主務同士の“横のつながり”が生んだ学びと気づき
昨年から主務を務める中で、他大学の主務との“横のつながり”の重要性を強く感じるようになりました。
同じシード校、予選会校、強豪校といった枠を超えて、もっと全体として交流を深められたら――そんな思いが自然と芽生えていきました。
「関東学連で、主務同士が集まる機会ってないのかな?」そんな素朴な疑問を抱いたのがきっかけでした。昨年はシーズン後半に、他校の主務の方と食事に行く機会がありました。そこでの会話は、悩みや苦労を分かち合える“同じ立場の者同士”だからこそ深いものがありました。その後も連絡を取り合い、ささやかながらも温かいつながりが続いています。
ライバルではあるけれど、同じ学生スポーツを支える仲間でもある。
特に全日本大学駅伝の予選会では、出場校同士のタイム集計をマネージャー同士で協力して行います。チームの勝敗を争う相手でありながら、一瞬だけ肩を並べて支え合う――そんな空気を感じられた瞬間でした。
大学陸上界全体がもっとフラットで、助け合える関係になれたらいい。競い合いながら、支え合う。そんな世界が広がったらと願っています。