走ることを愛し、チームを支えた4年間—— 主務として歩んだ“もうひとつの箱根駅伝” 東海大学 隈本 賢世

走ることを愛し、チームを支えた4年間—— 主務として歩んだ“もうひとつの箱根駅伝” 東海大学 隈本 賢世

2025.12.20
インタビュー

箱根駅伝を「走る側」として夢見た少年は、やがて「支える側」としてその舞台に辿り着いた。
結果が出ない現実、突きつけられた差、自分の限界——それでも箱根への想いは消えなかった。選手を諦める決断の先で見つけたのは、チームの中心で戦う“主務”というもう一つの覚悟。走れなくても、夢は繋げる。これは、裏方として箱根駅伝に挑み続けた4年間の記録であり、形を変えて叶えた一つの「夢」の物語です

陸上競技との出会い

3つ上の兄が陸上を始めたことをきっかけに、小学4年で自然と走る世界へ足を踏み入れました。幼稚園の頃から続けていたサッカーよりも、気づけば“走ること”が好きに。
小学1年生で箱根駅伝を観戦し、大迫選手が区間賞を取った姿を現地で目にした瞬間——胸の奥で“箱根駅伝への憧れ”が強く灯りました。


中学時代は思うような結果が出ず、小さい目標ながらも区での優勝を目標にしていました。高校進学後、箱根駅伝常連校の附属で指導を受けるも、両角監督から突きつけられた“現実”。同期との差は1分以上。“通用する”と思っていた自分の甘さを痛感しました。
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年生からはプレイングマネージャーとして、自分の練習はもちろん、女子選手の練習を引っ張りながら、マネージャーとしてもチームを支えていきました。

 選手を諦める葛藤とマネージャーへの道

小さい頃から、箱根駅伝への憧れが大きくありました。しかし競技者としてはギリギリのライン。このまま大学へ進んでも、箱根駅伝を走る未来があるのかと不安を感じていました。

そんな時、顧問の先生に「マネージャーとしてならお前の力を発揮できるのではないか」と勧められ、諦めたくはなかったものの、マネージャーという役割に魅力を感じ、その道に進むことを決意しました。

 マネージャーとしての経験

1年生の頃はルールを覚えることで精一杯の日々。高校時代のように自分で考えて動くより、“決まっていることを確実にこなす”ことが求められ、最初こそ苦戦しました。しかし、高校時代の経験を活かしながらチームに馴染み、仕事にも順応していきました。
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年目は、強くなるための強化が難しいと感じた1年でした。業務としても外部とのやりとりが増え、少しずつ自覚が芽生えていきました。

その後、3年生では4年生の主務の方を見て学びつつ、翌年の主務を意識するように。東海大学の記録会では主任を務め、公認記録会というミスが許されない責任感の大きさを実感するようにもなりました。一方で、その年は箱根駅伝予選会落ちも経験し、自分にとってもチームにとっても非常に大きな1年となりました。

 選手との関わりで大切にしていること


選手は他校との力差を感じてネガティブになることもあるため、支える立場としてポジティブな声かけを大切にしています。厳しくするよりも寄り添い、“どうしたら良くなるか”を常に考え、選手と同じ目線で向き合うようにしています。

主務としての自覚

箱根駅伝は“あるもの”だと思っていたものの、前年では出場が叶わず。とにかく悔しい経験となりました。
主務交代のタイミングの早さもあり最初は戸惑いもありました。しかし自分の代では、“必ず箱根駅伝に出場する、シード権を取る”という思いでここまで取り組んできました。

主務としての1年間の経験


主務としての1年は非常に長く感じました。試合や合宿へ行く機会も増えたことに加え、個人的に教育実習があったりと大変な1年でした。

しかし、どれも貴重な経験で、充実していました。
また、自分が動かないとチームが回らないという責任感も日に日に大きくなり、その中で“自分の存在意義”や“価値”を実感できる瞬間が増えていきました。

 走ることの楽しさ


走ることが好きという気持ちは、マネージャーになってからも一度も変わりませんでした。今のマネージャー陣は皆走れるメンバーでもあり、夏合宿では8人で合計1600kmを走るという目標を立て、別の形で競技を楽しむ時間もありました。

また、地元の世田谷246ハーフマラソンには招待枠で出走させていただき、競技者としての喜びも忘れずに過ごすことができました。

 やりがいを感じる瞬間


なかなか思うように結果を残せていなかった選手が、34年生になって関東インカレや日本選手権で結果を残してくれた時。そして何より、箱根駅伝予選会を通過した瞬間は本当に嬉しかったです。

また、箱根駅伝予選会後には、監督から「良かったな。ありがとう。箱根駅伝の運営管理車に乗れるぞ、頑張ろうな」というLINEが届きました。この言葉をいただき、さらにチームのために頑張ろうと思うことができました。

 同期について


同期は癖が強いが優しい人が多く、最初から最後まで仲が良かった学年でした。


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年生のエース花岡・竹割・鈴木・兵藤がチームの核ですが、それに負けずと日体大の記録会では4年生が積極的にレースを引っ張るなど力のある走りを見せてくれました。また、主力ではない選手も、練習やレースに真剣に取り組む姿が印象的で、その姿勢がチームを創り上げていたと思います。

選手の“変化”と“成長”


同じ高校出身の4年・草刈は、高校時代から共に走り、共に悩み、互いの背中を押し合ってきた存在でした。大学に入ってからは怪我に苦しむ時間も長く、思うように練習が積めない日々が続いていました。それでも彼は常に明るく、前向きで、気づけばチームになくてはならない存在としての役割を果たしていました。

そんな中、忘れられないのは全日本インカレでのレース
怪我明けで久々の実戦にもかかわらず、強豪選手たちに怯むことなく食らいつき、後半で一気にギアを上げる草刈らしい粘りの走り——。結果は3位。
ゴール後、嬉しさを隠しきれず笑顔を弾けさせた彼の表情は今も鮮明に焼き付いています。そして、表彰式を終え、賞状を手に一緒に写真を撮ったあの時。誇りと感動が混ざり合うような、忘れられない瞬間でした。

 チームづくりと今年のチーム


前年度のチームを変えるというより、悪い部分を治し、良い部分を伸ばすことを意識してきました。今年のチームは上下のつながりが強く、“立体的に結びついた”チーム。主力の4年生はもちろん、ポテンシャルの高い選手が多く、怪我さえなければ爆発的な強さを発揮できる集団です。

最後の箱根駅伝


主力選手に怪我はなく、質の高い練習ができています。
近年の課題だった山も良い仕上がり。他大学の状況はわからないが、ベストを尽くせばシード権は狙えると感じています。
不安もありますが、自分たちにできる準備をし、チームを信じたいです。運営管理車から当日どんな景色が見えるのか楽しみです。

 主務としての4年間を一言で表すと


「夢」

形は違えど箱根駅伝に携わることができた4年間。人生で一度だけの時間であり、思い返せば返すほど、とても濃い4年間だったと思います。

最後に──選手へ、チームへ、そして応援してくれる方々へ

選手へ

走れない自分の代わりに、チームの夢を繋いでくれてありがとう。箱根駅伝に連れて行ってくれてありがとう、と伝えたいです。

監督へ

学生コーチとして迎え入れ、一緒に戦わせてくださり感謝しています。4年間面倒を見てくださりありがとうございました。

応援してくださる方々へ


監督がよく仰っている「弱い時に応援してくださる人を大切に。」という言葉のように、常に東海大学を応援してくださり感謝しています。応援していてワクワクしていただけるような結果を残せるよう、チーム一丸となって戦います。今後も温かい応援よろしくお願いします!

INTERVIEWEE

隈本 賢世

隈本 賢世

東海大学

WRITER

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熊谷遥未

2001年11月16日東京都出身。田園調布学園を経て法政大学に進学。2023年の日本選手権では、女子400m決勝進出という実績を持つ。自己ベストは400m54.64(2024年8月現在)。現在は、青森県スポーツ協会所属の陸上選手として活動する傍ら、2024年9月より陸上メディア・リクゲキの編集長を務める。