陸上との出会い
陸上競技との出会いは、小学生の頃のマラソン大会でした。少し速かった私に、母が“運動不足にならないように”と背中を押してくれたこと、そして、父も陸上経験者で、走ることが身近にある家庭だったこと。その自然な延長線上で、気付けば陸上を始めていました。

初めて出場したのは、いきなり県大会という大舞台。緊張する間もなく優勝し、小学校最後の試合では県記録を更新。“走っていたら、いつの間にか速くなっていた”——そんな感覚で、自分でも驚くほどの結果を残しました。
中学時代──追いかける背中
地元の中学校に進学し、迷わず陸上部へ。小学校で培った走りをそのまま継続した1年目、全国大会標準に“0.01秒届かない”という悔しさを味わいました。
学校は少人数。強豪とは言えませんでした。それでも、朝練、放課後、帰宅後は父と自主練——とにかく走る日々でした。

そして、何より大きかったのが“三つ子の二人”の存在。私を含めた三人で同じ学校に通い、同じ陸上部へ入部。女の子は私だけでしたが、そんなことは関係なく、家の前で練習するときは二人が前を走り、その背中をただ必死に追い続けました。あの距離の詰まらない背中が、私を自然と強くしてくれたのだと思います。
2年生になると全国大会の200mで6位に。1年生の悔しさを晴らせた嬉しさよりも、2年生で表彰台に乗れたという驚きの方が大きい結果でした。

しかし3年生では怪我に苦しみ、全国大会も100m予選落ち、200m準決勝敗退。悔しさしか残らないシーズンでした。
それでも秋のジュニアオリンピックでは気持ちを立て直し、5位入賞。小さな光を取り戻しました。
高校時代──越えられない壁と、揺れる心
“強くなりたい”。その一心で、通学に片道1時間半かかっても“練習が楽しい”と思えた、滝川第二高校を選びました。ここから、本当の試練が始まります。

1年目、生活リズムが激変し、勉強・部活・通学のすべてが負担に。近畿大会の200mに出場したものの、高校生のレベルの高さに圧倒されました。活躍する先輩の背中を見て、“もっと上へ”という思いばかりが膨らんでいきました。
走れない自分に絶望した日々──それでも立ち上がれた理由
体調不良で練習どころか学校にも行けない日が続きました。練習をすれば怪我をする。走れない悔しさ、情けなさ、周囲が結果を出す姿を見る辛さ……時には陸上が嫌いになり、陸上のために来た学校すら辞めたいと考えたこともありました。
それでも、寄り添い続けてくれた家族と担任の先生の存在が私を救ってくれました。
“無理に頑張らなくてもいい。頑張りすぎなくていいから”
その言葉に何度も立ち上がる力をもらいました。

冬になってようやく練習が再開でき、そのタイミングでキャプテンに選ばれました。しかし3年生の結果も振るわず、申し訳なさと情けなさが募るばかり。
“競技を続ける選択やこの学校に来た選択が間違っていたのかもしれない”
そう思ったこともありました。
しかし、今なら胸を張って言えます。“あの苦しみも、必要な時間だった”と。
昔の自分に伝えてあげたいですね
大学──再出発と400mという新しい道
大学は陸上を続けるつもりはなく、教員免許取得のために天理大学へ進学予定でした。しかし受験時に先生から「陸上は続けるのか」と問われ考えたとき、高校の結果で終わりたくない気持ちが湧き上がり、“あと4年やろう”と決意しました。
三つ子の一人と一緒に奈良へ。初めて親元を離れ、すべて自分でやる大変さに親のありがたみを痛いほど感じました。入学前の練習はゼロ。とにかく一からの再スタートでした。

0から挑んだ400m
大学入学と同時に400mへ挑戦。幼い頃のマラソン経験、そして高校での100・200mの伸び悩みが後押ししてくれました。
1年目は慣れることで精一杯。夏にようやく60秒を切り、ベストは57.93。インカレ出場など想像すらしませんでした。
大学2年──またしても試練
5月にコロナに感染し、その後遺症で足の親指が痛み、走るどころか歩くのも困難に。怪我だと思い治療を重ねても改善せず、11月になってようやく免疫の問題と判明。治療を開始できたのはやっとそこからでした。1年間で出場できた試合は一本。

練習も満足にできず、指を使わないバイクを漕ぐだけの苦しい日々。それでも、“高校のようには絶対ならない。諦めたくない。走りたい”その想いだけが私を支えました。
冬からようやく走れるようになり、仲間と走れる喜びが何よりも大きかったです。
大学3年──積み重ねた日々が実を結ぶ
初めて“当たり前の練習”を積み重ねることができました。秋に56.39を出し、自己ベストを1.5秒更新。全日本インカレの標準記録を突破しました。
驚き以上に、仲間が自分のことのように喜んでくれたことが何より嬉しかったことを覚えています。
冬季練習は過去の中で一番辛い練習でしたが、仲間と楽しく乗り越えることができました。
大学4年──魔法がかかったような飛躍
シーズン初戦での54.57。
自分でも何が起こったのか分からず、約2秒の大幅更新に呆然としました。元々、日本選手権の標準記録すら知らず、仲間に言われて初めて知るほど、遠い世界だと思っていました。

その後も記録は伸び続け、日本学生個人選手権では54.03で優勝。嬉しさと同じくらい、“魔法がかかっているのでは?またいつか走れなくなってしまうのではないか”という不安がつきまといました。しかし、“自分のために、楽しむために走る”その初心だけは忘れないように日々の練習や試合を乗り越えていきました。
初の日本選手権──夢にも思わなかった景色
出場できること自体が嬉しく、“楽しいレースをしよう”と心に決めて挑んだ日本選手権。注目されていない気楽さから、伸び伸びと走ることができました。

まかさの優勝。夢にも思っていなかった結果に、実感は湧かず、ただ驚きと喜びが押し寄せました。
私を支えたもの
どんなときも一番近くで見守り続け、支えてくれた家族の存在。そんな家族が試合には必ず車で駆けつけ、結果が出たら誰よりも喜んでくれました。
家族、友達、先生……私は本当に“人”に恵まれてきたと心の底から思います。

これからの目指す場所
今後も陸上競技を続けていきます。
しかし、どこまで続けるか、目標などはありません。目標を決めて、それに縛られるのが苦手なので、今と変わらず“楽しくやる”こと、そして“走れることに感謝”をしながら走り続けていきたいと思っています。

今、苦しんでいる選手へ
怪我、伸び悩み……辛いときはそのことばかり考えてしまい、さらに気持ちが沈んでしまうものだと思います。でもどうか、陸上を始めた頃の気持ちを忘れないでほしいです。
1番は陸上競技を楽しむことが大切だと私の競技人生を通じて、そして胸を張って言いたいです。