競技者としてではなく、“マネージャー”という道に惹かれていた。
陸上経験のない自分にできることは何か、何度も迷い、悩み、それでもチームのそばに立ち続けた4年間。突然任された主務という重責、不安で押しつぶされそうになった日々。それでも、選手の小さな変化に気づき、チームの空気を守り、夢の舞台へと導いてきた。これは、走らずして箱根駅伝に挑み続けた一人の主務の、激動の記録です。
競技ではなく “マネージャー” に惹かれた⾃分
幼い頃は茶道やピアノなど、さまざまな習い事をしてきましたが、“これだ”というものは出会えませんでした。ただ、ずっと⼼のどこかで“誰かを⽀える役割”に興味があり、マネージャーという仕事に惹かれていました。

そんな中、進学先の⽴教⼤学が大学の事業として駅伝チームの強化をしているという情報が⽿に⼊り、“ここでマネージャーをやってみたい“と思うように。
1 年⽣:ただ必死でついていく⽇々
⼊部してすぐは、陸上の知識もほとんどなく、合宿も⼈⽣初。最初は責任よりも学ぶことの⽅が多く、深く選⼿に関わることもできませんでした。正直、“私はこのチームに何を還元できているんだろう?”と悩む⽇々。55 年ぶりの箱根出場を果たした年でも、⾃分が役に⽴てていたのか実感が持てず、不安ばかりが⼤きくなっていました。
それでも、“⾜を引っ張らないように。せめて他のマネージャーと並べるように”と必死に⾷らいついた 1 年間でした。
2 年⽣:少しずつ⾒えてきた景⾊
チームの雰囲気が変わりはじめた 2 年⽣。仕事にも慣れてきて練習でも⾃分のポジションができ、ようやく“やりがい”に触れられた時期でした。先輩たちからの⾔葉に救われたり、考え⽅を学んだり、“マネージャーとしてチームに関わるとはどういうことか“が少しずつ理解できてきた時間でした。

3 年⽣:チームをつくる側へ
3 年⽣の春、現在の監督が就任。新しい業務が増え、まるで 1 年⽣に戻ったような気持ちでした。
練習メニューや練習の頻度も⼤きく変わり、選⼿と話しながら状態を把握し、監督に伝える役割まで任任せて頂くことに。ただの雑務をこなす存在ではなく、“チームをつくる⼟台を担う存在” へと求められるものが変わったことを実感しました。業務量は増え、不安も多かったですが、“これが確実にチームに繋がっている”と実感できた 1 年間でした。
主務として迎えた最後の⼀年 予想外の“主務”の指名
前任者の体調不良を受け、5 ⽉に突然“主務”を任されることに。“陸上経験のない⾃分がやっていいのか” “チームの⼠気を下げてしまわないか”と不安しかありませんでした。
主務になり、迎えた初めての関東インカレでは周囲の主務が⽴派に⾒え、“⾃分は⼤丈夫なのか” と不安を抱えました。その不安を監督に打ち明けた時に⾔われた「隣の芝⽣は⻘く⾒えるだけ。」という⾔葉は、今もずっと⼼に残っています。

もちろん、選手の自己ベストやチームとして良い結果が得られた時にやりがいを感じますが、練習や合宿が何事もなく終わった瞬間。“今⽇もいい練習ができた”と感じられた時の安⼼感が、何よりのやりがいでした。
主務としての仕事と向き合い⽅ 選⼿との距離が近くなった
練習記録をつけ、状態を確認し、練習の話をしたり、時には雑談をしたり。そこから信頼が積み上がり、“選⼿の⼩さな変化に気づける存在”になれたことを実感しています。予選会で 10 位だった時はチームの雰囲気を変えるため、必要な場⾯では強めに声をかけるようにもなりました。
また、どれだけ忙しくても、選⼿に気を遣わせないこと、⾃分から「お疲れ様」と声をかけることこれは主務としてずっと⼤切にしてきました。

嬉しかった瞬間ー選手の活躍ー
今年2月の学生ハーフで、馬場が自己ベストを更新し、日本代表に選ばれたことです。立教大学から日本代表が誕生したこと自体も本当に嬉しかったですし、昨年までチームを引っ張ってくださった4年生が引退され、どこか漠然とした不安を抱えていた中で、その不安を払拭してくれるような走りだったと感じています。
普段から努力している姿を間近で見ている分、その頑張りが結果として表れ、さらに多くの方に注目していただけたことは、私自身にとっても大きな喜びでした。
また、馬場の活躍に刺激を受けるように、同期の記録ラッシュが続いたことも、強く印象に残っています。

忘れられないシーン
たくさんありますが、ひとつ挙げるとすれば前回の箱根駅伝です。
シード権獲得を目標に臨んだ大会でしたが、結果は13位。往路では8位と、確かにシード権を掴みかけていただけに、悔しさはより一層大きなものでした。
それでも、この結果を“悔しい”と心から感じられるチームにまで成長していたこと、そして確かなチームの変化を実感できた瞬間でもありました。その感覚は、今でも鮮明に覚えています。
振り返ってみると、この大会こそが、最後の1年、選手のために全力を尽くそうと覚悟を決めた原点だったように思います。
チームの雰囲気
今のチームは、“失うものがない”という強さを味方に、挑戦することを楽しめる雰囲気があります。普段から学年を越えて仲が良い⼀⽅で、集中すべき場⾯では⼀気に空気が締まるメリハリも兼ね備えています。

4 年⽣は絶妙なバランスでまとまりがあり、チームを前向きに引っ張ってくれる存在。また、1・2・3年⽣も着実に⼒を伸ばしており、チーム全体の底上げがしっかりと進んでいる。雰囲気の良いチームだと思います 。
主務として⾒てきた選⼿の確かな“成⻑”
特に 3 年の野⼝。昨年の夏合宿では下のチームで練習を消化する状態だったところから、⾃主的にジョグの距離を増やし、⾛⾏距離のベースを作り、気づけばチームを代表して走る存在になりました。コツコツ努⼒を積み重ねる姿勢が、確実な成⻑に繋がっていましたし、努⼒している姿を⾒ていたからこそ、嬉しい成⻑でした。
箱根駅伝を前に思うこと
シード権獲得を⽬標に、チームの雰囲気は決して悪くなく、“最後に⼀つ、ぶつけよう“という強い気持ちがあります。
しかし、毎⽇の練習が終わっていき、“本当に⻑かったけど、もう終わるんだ“と実感するたび、寂しくなっています 。

主務として過ごした⽇々を“⼀⾔のタイトル”にすると?
「激動」
主務としての毎⽇は、良いことも悪いことも、全て貴重な経験をさせていただいたと感じています。正直、「辞めたい」と思った瞬間もありました。“ここで何ができるのか?⾃分は成⻑できているのか?”そんな迷いや、⾟さを覚えた時期もありました。
それでも、同期のマネージャーが「仲間がいるから頑張れる」と⾔ってくれたことで、⾃分だけではなく“誰かのため”にやっているんだと気づけました。マネージャーは⼀⼈⽋けたらチームが回らない。⾃分が楽になるとしても、それではチームが困る。だからこそ“選⼿の役に⽴たないまま終わりたくない。胸を張って頑張ったと⾔えるところまでやり切りたい”そう思って踏ん張っていたら、気づけば 4 年が終わっていました。振り返れば、全部がかけがえのない時間でした。
最後に──選手へ、チームへ、そして応援してくれる方々へ
◆選手へ
私は毎⽇、選⼿の“良い時も悪い時も”ずっとそばで⾒てきました。当たり前のように毎⽇練習を積み重ね、⾃分を律し続ける姿は、本当に尊敬しています。速い・遅いではなく、その当たり前を続けられる姿から、刺激も活⼒もたくさんもらいました。
マネージャーとして⼗分にサポートできていたか、不安になることもあるけれど、⼀緒に嬉しさや悔しさを共有できたことは、私の宝物です。最後⾃信を持って挑んで欲しいです 。
◆監督へ
監督が来られてからの 2 年間は、これまでにないほどの学びがありました。求められるレベルに達せず落ち込んだことも多かったですが、その度に指導してくださり、考え⽅を教えていただけたおかげで“このチームでやる意味”を強く感じられるようになりました。厳しさの裏にある想いを知り、成⻑できたのは監督のおかげです。
◆同期のマネージャーへ
主務になってから、ずっと⽀えてくれてありがとう。主務という⽴場は私⼀⼈の名前がるけれど、⼆⼈がいなかったら絶対に乗り越えられていませんでした。全くタイプの違う3人だけど、お互いがお互いを補い合える関係性がすごくありがたく、最後まで3人で走り切れて、本当に良かったと思います!
◆応援してくださる皆さまへ
⽴教は毎年、本当に多くの⽅に応援していただいています。箱根駅伝はもちろん、箱根駅伝予選会も全⽇本⼤学駅伝も、遠⽅から駆けつけてくださる⽅がいる。その応援がなければ、私たちは活動できません。“いつも楽しい時間をありがとう”と声をかけられますが、本当は私たちが感謝を伝える⽴場です。箱根で恩返しができるように、そして来年以降も戦い続けられるように。引き続き応援していただけたら嬉しいです。