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選手から指導者になった馬場友也。競技生活の後半、気がつくとベテランと呼ばれるようになっていた。

この記事は 有名選手の父にスカウトされ陸上の道へ。惜しまれながら現役を引退した馬場友也の陸上人生 の続きです

中学生時代に、北風沙織選手(女子陸上会を牽引してきたレジェンド)の父に才能を見込まれ、陸上界に足を踏み入れた馬場友也さん。

怪我にも見舞われたが、それを乗り越え、毎年少しづつ進歩を続けた。

そんな馬場選手の実業団での5年間と今後についてを聞いてみた。


実業団活動



大学院卒業後は、高校時代の監督の繋がりで「LALL」に入社。
陸上部のない会社で、苦労することもあったと言う。

「競技を支えてくれるだけでいいんです。本当にありがたかったですね」

実業団では10秒34、31とPBを更新。
4年目には、女子短距離界のトップクラスの福島千里選手北風沙織選手の所属する「北海道ハイテクAC」へと移籍をした。


アベレージが低い



自己ベストも更新し、日本選手権でも100mで入賞するなど結果を出してきた馬場さん。
だが悩みもあった。

「毎年、10秒3台は1回は出せるんですけど、とにかくアベレージが低くて。大体10秒5、6とか。10秒4台すら出ないんです」

彼は自分のことを”一発屋芸人”と思うようになっていた。
そんな彼に追い討ちがかかる。
チームメイトの福島選手がアジア大会など大きな試合に出場したのだ。

「なんで俺だけこんなんなん…もしかしてメンタルが弱いのかなと思いました」

早速メンタルトレーニングを開始した馬場さん。
書店でよく見かける「メンタル強化の本」でも読んだのだろうと思っていた。

「活字は苦手なんで漫画を読みました。ろくでなしブルースとかドラゴンボールとかですね」

そう、これぞ馬場友也クオリティなのだ。

漫画の主人公になりきり、敵を倒すために戦闘力を上げる方法を必死にイメージトレーニングしていたらしい。
このイメージトレーニングの効果が出たのかは本人もわからないと笑っていた。


いつの間にかレジェンド



「可愛い後輩なんですよ、城山は」

北海道出身で走り幅跳びの城山正太郎選手(ゼンリン)とは、海外遠征を共にしたり、プライベートでも遊ぶ間柄だという。

ある日、城山選手がスプリント練習をしていた時、馬場さんは大差で負けたのだ。
城山選手は走り幅跳びが専門種目で、100mとは無縁にも関わらず、だ。

「いつもだったら悔しいんですけど、何にも思わなくなってきました」

その後、城山選手が走り幅跳びで8m40の日本記録を樹立した時も「おめでとう!ようやったな」とは思うが、「悔しい、負けてられない」という感情はなかったと言う。

試合で負けると、以前であれば負けたら夜も眠れぬほど悔しく、誰とも会話をしなかった。

だが、2018年頃より「おー、みんなお疲れ。じゃあ気をつけて帰れよー」と他の選手に声をかけるようになった。
もはや指導者か監督なのかは自分でもわからなくなっていたと言う。

そして、北海道では負け知らずだったのに、北海道出身の小池裕貴選手(住友電工)が100m9秒98をたたき出し、いつのまにか北海道でも負けるようになっていた。

気づかぬうちに馬場さんは「レジェンド」の仲間入りをしていたのだ。


引退の決意



2018年シーズン、納得のいく結果を出せなかった馬場さん。

「冬季練習を頑張って、2019年良い結果を出せなかったら引退しようと思っていました」

冬季練習を、例年以上に自分と向き合いトレーニングに取り組んだ。

そして迎えた2019年シーズン初戦のYOSHIOKAスプリント(出雲陸上)

結果は

 

 

10秒70

 

この時点で引退を決意した馬場さんは、その後の試合は割り切って楽しんで走るようにしたという。

「引退ではないんです。あくまでも休業中なんですよ。なんか引退って強い選手が使う言葉じゃないですか?僕はそこまで強くなかったし」

この男は最後までカッコつけてくるようだ。


今後について



「体が衰えた気はしないんです。ただ選手として陸上に対する気持ちが続かなかったから一旦休業しているんです」

現在は、選手としての活動を休業し、新札幌陸上クラブの代表に就任した。
今までの知識を活かし、生徒の指導に励んでいる。

「もうすぐしたらマスターズにも参戦しますよ。そして日本一を目指します」

彼の日本一が、クラブに所属する子供たちに大きな活気を与えるだろう。

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