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引退から復帰、ママアスリート”北風沙織”が見た新たな景色

北風沙織
北海道ハイテクAC

1985年4月3日北海道生まれ。恵庭北高校、北翔大学を卒業後、北海道ハイテクAC。100mを専門とし11秒42の記録を持つ。400mリレー日本記録保持者(43秒39)。小学生のころから陸上を始め、6年生の全国大会では12秒92を記録し準優勝。中学時代はジュニアオリンピックと全国中学総体の100mの2冠を達成。その後、全国インターハイ、国体、日本ジュニア選手権に優勝、全日本インカレ優勝など、各年代のあらゆる主要大会で優勝。また、全日本実業団、日本選手権でも準優勝。大学4年時の2007年、大阪で行われた世界陸上に出場。その後、怪我などに悩まされ引退。出産後、ママアスリートとして復帰し、すぐに100m11秒台を記録するなどポテンシャルの高さを発揮。現在の目標として日本選手権への出場を掲げている。

出産後、どこまでいけるか試したくて、すごく燃えています。日本選手権には必ず出てみせます」

全国3冠を果たした最速女子高生スプリンターであり"元祖アイドルスプリンター"と呼ばれた北風沙織も2018年には出産をして母親になった。現在"ママアスリート"として活動中の彼女も、実は一度引退している。そして高校卒業後から現在に至るまでの競技人生は大きな紆余曲折があったのだという。

日本代表に選出された大学時代

多くの栄光を手にした大学時代

北風は高校卒業後、地元北海道の浅井学園大学(現・北翔大学)に進学した。高校時代の指導者である中村宏之氏の指導を継続して受けるためだ。大学1年時には、日本ジュニア選手権で優勝、世界ジュニア選手権にも出場し準決勝進出を果たした。2年時には日本インカレ3位、南部記念陸上では追い風参考記録ながら11秒66をマーク。東アジア大会では4位入賞。2007年には大阪世界陸上が開催されることもあり、この頃急速に日本陸上界は盛り上がっていた。同郷の高平慎二や同学年の塚原直貴らが男子リレーの中核を担うようになり、世界陸上でもメダル獲得が期待されていた。そういった選手の刺激を受けながら北風の記録も伸びていった。

日本代表のメンバー入りを果たした北風(写真左)

2006年、南部記念陸上で11秒56を記録。スーパー陸上3位、日本インカレ優勝、国体準優勝、そしてアジア大会でも決勝に進出するなど、いよいよ世界陸上日本代表入りが現実味を帯びてきた。2007年のシーズンがスタートすると、静岡国際陸上の予選で11秒52をマークし、日本選手権では準優勝。これでリレー要員として大阪世界陸上の日本代表に初選出された。世界陸上本番ではバトンミスもあり失格となってしまったが、この出来事は北風の陸上に対する思いをさらに強めた。

「初めての世界陸上が失格という結果だったので、世界で戦うことの難しさを痛感しました。でも、だからこそ世界で戦いたいという気持ちが強くなりました。リレーだけでなく、個人でも世界で勝負したいと思うようになりました」

日本インカレでの優勝、日本選手権での準優勝、そして日本代表選出。世界陸上でこそ悔しい思いをしたが、多くの経験を積み大学での競技生活を終えた。

北京オリンピック標準記録突破とその後の挫折

得意のスタートに磨きをかけ記録を伸ばしていた北風

社会人になった2008年、織田記念陸上でいきなり11秒42を記録。福島千里と共に北京オリンピックの100mB標準を突破した。周囲からも「オリンピック出場」の期待がかかる中、日本選手権では6位に沈み、オリンピック出場の夢は叶わなかった。この頃、北風は左脛を疲労骨折していた。騙し騙しでトレーニングをし、試合に出ていたのだ。それ以降、手術やリハビリテーションを行うなど2010年までは苦しい日々が続いた。

9年経った今も破られることのない偉大な記録を残した(写真左)

手術やリハビリを経て復活の兆しが見えた2011年。織田記念陸上では追い風参考記録ながら11秒40をマーク。また、同時期に400mリレーで高橋萌木子、福島千里、市川華菜らと共に43秒39の日本新記録を樹立。この頃の北風は、2012年のロンドンオリンピック出場を目指していた。競技人生の全てをかける思いだった。しかし、大事な日本選手権では7位に沈んだ。2012年になっても思うように力を出せず、オリンピックには手が届かなかった。

若手の台頭もありオリンピック出場は叶わなかった(写真左)

その後の競技人生も苦労が多かった。社会人になった以降、疲労骨折で3度の手術、病気で2度手術するなど不運も重なった。2016年のリオオリンピックを目指すも届かず。記録も徐々に下降線を辿った。そして、惜しまれながらの引退。2018年には出産し、母親業に専念するつもりだった。しかし、子育てをしながらも気づけば走っている自分がいた。引退前のように必死で練習をするのではなく、肩の力を抜いて陸上を楽しんでいた。気づいたら試合に出ていた。

引退レースには多くの仲間たちが駆けつけた

「一度は引退したんですよ。でも出産をして、少し経った頃に60mを走ったら7秒5くらいでは走れた。少しトレーニングを積んだら2019年には11秒93で走ることができた。これくらいでも11秒台が出るんだ、、、ちゃんと練習したらもっといけるのでは?と思ったんです」

それが北風の率直な思いだった。様々なプレッシャーから解放された北風は、引退前とは違った景色を見ていた。苦しい苦しい陸上ではなく、競技自体を楽しめるようになっていた。そして、出産をして子育てをする中で、ママアスリートとしての使命のようなものも感じるようになってきていた。

恩師の中村宏之氏と共に

「女性だから、年齢を重ねたから、出産したから、そのような理由で夢や目標を諦めたくなかった。東京オリンピックを目指したい気持ちもあるが、現実的には厳しいことは理解している。しかし、ママアスリートとして日本選手権に出場する。母親になっても競技者としてやれるんだという見本になりたい」

気づけばそのような熱い思いが湧いてきたのだと言う。北風は続けて口を開く。「子どもは自由に育てています。子どものうちにいろんなことを経験させたい。自由にさせる中で、痛いとか、熱いとか、自分で気づいてくれるように意識している。」「子どもの身体の動きを見てるといろんな発見があるんです。例えば、しゃがんで立ち上がるときに、膝が前に出ないんですよ。これってスクワットのフォームとしては最高じゃないですか。子どもの動きを見て学んでますよ。」そう語る北風の声は、以前とは違って陸上生活を楽しんでいるように聞こえた。

家族での一枚。後ろにはうっすらと虹が見える

北風も35歳となり、同世代の女子アスリートのほとんどは引退した。世界的に見ても結婚、出産を経て、その年齢まで競技を続ける選手は稀だ。ママアスリートとしての挑戦は多くの女性の勇気となるだろう。数々の栄光を手にしてきた競技人生前半、そして苦難の連続であった引退までの道のり。それでも今なお競技に向き合えるのはなぜだろうか。彼女は言う。

神様は乗り越えられない試練は与えない。

この言葉を支えに今まで多くの困難に立ち向かってきた。試練と言えば、コロナウイルスによる試合の中止や自粛による練習不足などもあるだろう。しかし北風は意に介さない。息子や、日本中の子ども達に、夢を諦めずに追い続ける姿を背中で見せていきたいからだ。現在は陸上教室などで地方を回って陸上競技の普及にも取り組んでいる。陸上競技への取り組みは以前とは変わったが選手としての強い思いは変わらない。「まだまだ若い子には負けませんよ。」と言う北風。ママアスリートとして生まれ変わった新生"北風沙織"の今後が楽しみだ。(完)

北海道の短距離を支えてきた仲間たちと。国体北海道チームでの活躍も楽しみだ(写真右)

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