100m10秒31
この凄さは陸上競技を知らない方にとってもわかるだろう。
それほどすごい記録を持っていてでも抱える悩みは沢山あることをご存知だろうか?
今年の春に現役生活をいったんストップし、監督としての道を歩み始めた馬場友也さんに話を伺った。
有名選手の父にスカウトされ陸上の道に
100m10秒3の記録を出す選手であれば、幼少より熱心な親御さんと一緒にランニングしたり、スポーツの英才教育を受けていたりするんじゃないの?と思っていた。
小学生に上がり陸上教室に入り、その頃から頭角を表して・・・なんていう人が10秒3を出すんじゃないの?と思っていた。
「あ〜、僕中3から陸上始めたんですよ。ずっと野球をやってたんですけど、体育大会で陸上部より遥かに足の速い僕を見た陸上部の監督がスカウトしたんですよ(笑)」
幼少より陸上の英才教育・・・陸上クラブ時代から頭角を表していた・・・
そんな私の予想を全て裏切る陸上デビューだった。馬場選手を陸上の道へとスカウトしたのは、なんと100mベストが11秒42で世界選手権にも出場経験のある北風沙織選手の父であった。
そして、デビュー戦を迎えた馬場さんは100m11秒9でフィニッシュ。陸上初心者にしては上等すぎる記録。
「今まで自分より速い人を見たことがなかったからびっくりしました。井の中の蛙だったようです。」
当時の馬場さんはこの結果にまだ納得が行かないようだった。
とりあえず400m出とくか…笑
札幌創成高校へと進学した馬場さんは、陸上部へ入部。だが、このとき100mは11秒中盤。札幌支部大会は100mでは枠もらえなかったが、どうしても出場したかった馬場さんは
「とりあえず400m出るか」
と専門外の種目への出場を決めた。馬場さんにとって400mは、「とりあえずビール」みたいな感覚なのだろうか。
その結果。
400m58秒で予選落ち・・・
この結果を挽回すべく、リレーには選ばれたので走ったが、馬場さんが足を引っ張り負けてしまった。
「あのときは悔しかったですね」
その時の悔しさをバネに、フォームから体力まで全て素人だった馬場さんは人よりも練習に励んだ。
その結果、200mは25秒→23秒1まで進化した。
「この辺りから走る楽しさが分かってきましたね」
この勢いは止まらず、高校2年時には200mでインターハイに出場。
走る景色が変わり、周囲も馬場さんのことを「あいつ誰?」「急に出てきたぞ」と噂するようになっていたそうだ。
「恥ずかしくて無言を貫いていました(笑)」
かわいいところあるやん。
そのように思った方もいるかもしれないが、この男見た目とは裏腹に意外とシャイなのだ。
怪我を克服し、記録が向上。新たな楽しさに気づく。
高校2年でインターハイの準決勝まで進出した馬場さんのことを、誰もが「高校3年では活躍する」と思っていた。
しかし、馬場選手の良い意味?で悪い癖が出てしまった。
「調子に乗って練習しまくっていたら足がおかしくなりました」
違和感を感じていたものの、練習でのタイムも良かったため練習を続けた結果、足が痙攣して走れなくなってしまった。
それでも無理やり試合に出場し、インターハイでは準決勝まで進出しているものの、記録は高校2年時と変わりなかった。
馬場さんの才能を見抜いた、東海大学陸上部を指導している広川龍太郎さんより熱烈アプローチがあり、東海大学へ進学。
大学2回生では日本ジュニア選手権(現・U20日本選手権)にて、初めての全国入賞を果たした。
記録が伸びてくると、全日本インカレや国体などへの出場のチャンスも回ってくる。
そこで新たな楽しさを発見した。
「速くなったら強い選手と喋れて楽しい」
同じチーム北海道で出場する福島千里選手や北風沙織選手などと関わるようになり、話す機会が増えた。
「同じレベルの選手で、自然とコミュニティが形成されますよね。これがスポーツの醍醐味なのかもしれませんね」
その後は大学院にも行き、100mのベストは10秒44まで向上した。
この記録は、北海道学生記録で今もなお破られていない。
そんな馬場選手だが、悩みもあった。
「北海道では負けたことないんですけど、全国大会に行くとダメなんです」
自分の前を走られると実力を出せなくて、何度もイメージトレーニングを重ねたが払拭できなかったのだ。
その後は北海道でも「こいつには勝てないな」という男が登場した。
続く