岡本さんが箱根駅伝を目指すきっかけは、お父さんの存在。法政大学出身で長距離選手だったお父さんは、現法政大学駅伝監督の坪田監督と同期。その影響を受けた岡本さんは、幼い頃から箱根駅伝を身近に感じて育ったという。
「いつか自分もこの舞台を走りたい。そして、父も目指した箱根路で、『法政大学』の襷を繋ぎたい」そう夢見て陸上競技に取り組み、見事法政大学への入学を果たした。
走れない悔しさを、チームを支える力に
入部当初、周りは推薦で入ってきたエリートばかりで練習について行くことに必死でした。その上5000m 14分45秒という基準を突破できず、選手としての夢が途絶えてしまいました。辞めるという選択肢もありましたが、それ以上に“チームに何か残したい、支えたい”という思いでマネージャーに転向を決意しました。
マネージャーになりたての頃は、走れない悔しさと未知の業務に戸惑いながらのスタートでしたが、日々活動する中で、マネージャーという役割の面白さや奥深さに気付き、次第に“この道を選んで良かった”と思えるようになりました。
チームを支える難しさとやりがい
3年生としてチームをまとめる役割を担う中、“人に物事を伝えること”が自分にとって難題でした。しかし、マネージャーになっても優しく接して下さった4年生や頼りになる同期の存在に支えられ、一つずつ乗り越えることができました。
喜びの瞬間 “選手の活躍が支えになる”
選手が結果を出す姿を見ることが、何よりも嬉しいです。
マネージャーとしての最大の喜びは、選手たちが結果を出してくれる瞬間です。今年で言えば、同期の大島が5000mと10000mの法政大学記録を塗り替える快挙を成し遂げてくれました。怪我や不調に苦しみながらも努力を重ねる姿を近くで見てきたからこそ、まるで自分のことのように嬉しかったです。
また、大島から夏合宿後の試合で結果を出した際に、「俺だけの力じゃなくて、合宿中もずっと支えてくれていたから出せた結果だよ」と声をかけて貰った時は、自分も彼と一緒に努力が報われたように感じましたし、忘れられない一言になりました。
選手にとっては何気ない一言であっても感謝や気遣う言葉に救われているという岡本さん。
僕の周りには優しい人ばかりです!と笑顔で答えていました。
4年生が頼りになるチーム
4年生はとても仲が良く、いつも全員で楽しそうにしている姿を見かけます。それでもやる時にはしっかりやってくれる頼もしい先輩方です。だからこそ、チームがいい雰囲気になっていると思います。
もし箱根駅伝を走れるなら・・・
山に興味があったのはもちろん、平地よりも他の選手と戦えるのではないかと思っていたので、5区を走りたいと考えていました。また、法政大学出身で現Honda陸上部の青木涼真さんが活躍している姿をテレビで見ており、その姿にも大きな影響を受けていました。
感謝をしている“お父さん”
父は陸上競技を始めるきっかけ、そして法政大学を目指すきっかけを与えてくれました。また、選手として辛い時も、常にそばで見守り応援してくれていました。そんな家族の支えがあるからこそ、今もマネージャーとしても頑張り続けることができています。
監督・選手へ
監督には様々な場面でご迷惑をおかけしましたが、選手の時、そして選手を辞めてからも常に気にかけて下さりました。期待に応えられるようこれからも成長していきたいです。
同期や先輩方をはじめ沢山の方が選手として苦しい時も背中を押して、声をかけて下さりました。そのおかげで今でもマネージャとして頑張れていますし、感謝の気持ちでいっぱいです。今度は自分が選手の皆さんを支えられるように頑張ります。
箱根駅伝 史上最強のチームで挑む
スローガンに掲げている通り、今年のチームは史上最強のチームだと思います。
しかし、大一番で結果を残せず今まで悔しい思いをしてきました。普段通りの走りができれば目標の5位に手が届くと思うので、頑張ってもらいたいですし、僕は全力でサポートします。そして、4年生には笑顔で卒業してもらいたいです。
皆さんへ
このチームは今まで多くの挫折を味わってきました。
「坪田史上最強への挑戦」というスローガンの通り、史上最強のチームで迎える箱根駅伝を粘り強い走りで挑みます。
応援の程よろしくお願いいたします!
走っている時間は何も考えずに没頭できる時間。そして陸上競技とは「岡本崚太郎を作り上げてくれている、かけがえのないもの」と語る岡本さん。辛いことも多くあったが、選手ではなくても携われていることが何よりも嬉しいと語る岡本さん。3年生で迎える主務としての箱根駅伝。夢見た箱根駅伝を笑顔で迎えてほしいですね。