「陸上は楽しくやるものだ!」その信念をもって競技に臨んだ末に掴んだ自己ベスト ー 井川拓

「陸上は楽しくやるものだ!」その信念をもって競技に臨んだ末に掴んだ自己ベスト ー 井川拓

2021.01.22
2023.12.13
インタビュー

「どんな形でも良いから、一生陸上競技に関わっていたいですね。それくらい陸上を通して自分は成長できたし、何より陸上が好きなんです。」

井川拓。大阪成蹊大学3回生の彼は現在、教育学部で保健体育の教師を目指しながら陸上競技を続けている。「大阪成蹊大学」と言えば、学生女子短距離界に名を轟かせている名門中の名門だ。しかし、それはあくまでも「女子部」の話であり、男子選手は全く別の部活動のような形で活動しているという。男子部は少人数で、全体練習は土曜日のみという極めて主体性に任された活動になっている。あくまでも教育学部での勉学を生活の中心に置いている井川にとっては都合が良く、伸び伸びと勉学と部活動に向き合っているという。将来の夢として教師の道を志す上で、中高時代の陸上部での活動は欠かせないものだったと言う。そんな彼の競技人生をインタビューした。

大きく自分を成長させてくれた立花中学陸上部

キャプテンとして部員を引っ張った中学時代(写真左から2番目)
キャプテンとして部員を引っ張った中学時代(写真左から2番目)

私は中学校入学と共に陸上競技を始めました。初めは吹奏楽部に入ろうと思っていましたが、希望するドラムが3年生にならないと叩かせてもらえないと聞き、運動部に入ることにしましたが、球技が苦手だったんです。それで、陸上か水泳の二択になって、水泳は苦手だから消去法で陸上部に入部することになりました。そういうモチベーションで入部したわけですから、2年生までは淡々と日々の部活をこなしていました。しかし、2年生になったときに、顧問の先生から、「キャプテンやってみいひんか?」と言われて、キャプテンを務めることになりました。今まで主観でしか考えていなかった自分が、キャプテンをやることで全体を見ながら動く力がつきましたし、少し大人になれたと思います。顧問の先生のことはとても尊敬していて、私がキャプテンを引き受けてからも気にかけてくれて影でサポートしてくださっていました。指導力も高かったですし、先生に憧れて教員になりたいと思うようにもなりましたね。

阪神地区で3位入賞(写真右)
阪神地区で3位入賞(写真右)

キャプテンになって、練習にも一生懸命取り組んで、中学最後の夏の大会では、阪神地区で3位に入り、県大会でも4位入賞することができました。近畿大会まであと一歩でしたが、兵庫県の中で4位に入れたのは嬉しかったですし、とにかく楽しかった。兵庫県のレベルの高い選手とも友達になれましたし、とても充実感があり、それで陸上にどんどんハマっていきましたね。一気に記録が伸びたわけですが、理由は正直良くわかりません。でも、大きな大会になっても不思議とリラックスできていたんです。自信もありましたし、内面的な要素が大きかったと思います。

「考える陸上」へ思考を転換した高校時代


中学で陸上競技にハマった私は高校でも当然のように陸上を続けました。私が武庫荘総合高校を選んだ理由は、中学時代の尼崎市大会でのことがきっかけになっています。その大会で武庫荘の高校生にアドバイスをいただいたんです。見ず知らずの自分にその先輩は明るくアドバイスをくださって、こんな先輩がいる高校なら自分もそこで陸上したいなと思ったんです。また、山本大介先生という国体などでも活躍された素晴らしい先生がいて、先生には技術面など考えて陸上に取り組むことを教わりました。中学までの自分はガムシャラにしんどい練習をこなせば記録は伸びるとしか思っていなかったので、適応するのは大変でしたが考えることで記録も伸びていきました。
しかし、その教えが身についてきた一年生の終わりに、山本先生は他校に転勤してしまいました。しかも、代わりに来られた新しい先生は長距離専門だったんです。だから、自分たちでメニューをつくることになったんです。LINEでグループをつくって、どんな練習メニューにしようか日々たくさん考えました。先生も「もう少し本数増やした方が良いんちゃうか?」などアドバイスをくれました。大変でしたが、山本先生から考えて陸上をすることを身につけてもらっていたので、みんなと協力しながら日々の練習を進めることができました。この高校時代の「考えて陸上をする」ということは非常に大きな成長に繋がる要素だったと思います。

楽しく競技をすることを貫いた先に見つけたこと

ライバルたちと(写真右)
ライバルたちと(写真右)

高校時代に考える陸上を身に付けましたが、私が一番大事にしていたのは、陸上を楽しむことです。その一つのエピソードとして、試合での手拍子の話があります。高校1年生の県ユースのときに、とにかく楽しもうと思って、三段跳びの試技でスタンドに手拍子を求めたんです。思いっきり楽しむ、というつもりでやって自己ベストも更新できました。しかし、あとで審判長に注意を受けてしまいました。でも、悪いことをしているわけではないので、顧問の先生には「また、手拍子はすると思います」と言いました。
それから、大きな試合ではスタンドに手拍子を求めて、6本目に大きく記録を伸ばしたこともありました。手拍子が代名詞みたいになっていましたね。審判長の先生はじめ、周りからいろいろ言われていたとも思いますが、貫いて良かったです。自分にとっては何よりも陸上競技を楽しむことが一番ですから。

同じ学校のライバルの存在

同校のライバル矢野選手とともに表彰台へ(左が矢野、右が井川)
同校のライバル矢野選手とともに表彰台へ(左が矢野、右が井川)

高校3年生のインターハイ路線が、今も陸上を続けている理由に繋がります。同じ学校の矢野という選手がいたのですが、彼とは切磋琢磨して頑張っていました。阪神地区では矢野が7m07の大会新記録を出しました。7mを跳んで1、2位独占しよう!と言っていたのですが自分は3位に終わり悔しかったですね。怪我もあったので、この頃は陸上をあまり楽しめていませんでした。でも、県総体では、ギリギリ8位で決勝進出。ラストジャンプまでに諦めかけていましたが、矢野に「拓らしくないで、、、」と言われて、手拍子をスタンドに求めたんです。そうしたら7m05が跳べて4位入賞、近畿総体に進むことができました。やはり、手拍子を求めて競技を楽しむ、これが自分の型だなと思いました。矢野というライバルであり良き仲間いてくれて、ここまで成長することができました。楽しさと成長を与えてくれた陸上競技はやっぱり良いものだ。これからも続けていこうと思えましたね。

井川拓の現在地とこれから

今は、とにかく教師を目指して頑張っています。大学1年生の時には教育学部の授業に加え、週3回の塾のバイトもしていました。教師になるために大学に入ったので、陸上の練習は後回しでした。2年生になって少し余裕も出てきて、自分のペースで陸上をするようになりました。女子部は全国制覇をするようなチームですが、男子部は土曜日に全体練習があるくらいで、あとは自分のペースで練習をするようなスタンスです。楽しみながら陸上をすることができています。今は、教師を目指していますが、大きな人生の目標としては、陸上部の顧問などどんな形でも良いから一生陸上に関わっていきたいと思っています。中学の顧問の先生からは「我以外皆師」という言葉をいただいて、それを大事にしています。いろんな人から多くのことを吸収し、良い教師に近づけるようにしたいと思っています

編集後記

教育に対する並々ならぬ熱い思いを感じさせてくれた井川さん。非常に好青年な大学生という印象でした。教育学部の授業で知識とスキルを身につけ、そして塾でバイトをして実践を積む。さらに、陸上競技にも取り組む。そのモチベーションの高さに尊敬の念を抱きました。彼のような教師に教わる生徒は幸せだなぁと思った次第です。教員になるまであと1年3ヶ月。大学陸上生活もあと半年と少し。これからの井川さんの活躍が楽しみです。

INTERVIEWEE

井川 拓

井川 拓

兵庫県出身。
尼崎市立立花中学校、兵庫県立武庫荘総合高等学校出身。
現在、大阪成蹊大学教育学部3回生。立花中学校入学と共に陸上競技部に入部。100m、走り幅跳び、三段跳び、リレーなどに取り組む。3年時には三段跳びで兵庫県中学総体4位入賞。高校進学後は走り幅跳びと三段跳びをメインに取り組み、2年時には近畿ユース走り幅跳び6位入賞、3年時には7m05を記録し兵庫県インターハイ4位入賞。
大学進学後は、教育学部に籍を置き保健体育の教師を目指している。

WRITER

Array

リクゲキ編集部

リクゲキ編集部です。