小学5年で陸上を始め、アジアユース日本代表、全国大会優勝3回、準優勝2回。という輝かしい実績を残してきた、愛知学院大学の陸上部4年生・掛川栞。(前編の記事はこちら)
「レースで同じ組の人に負けたくない」がむしゃらに走り続けて日本一に輝いた彼女だが、「高校時代の写真もほとんど残っていません。」と語る彼女の高校時代に一体何が・・・?
闇の時代と語る高校時代。そこから這い上がり大学で今なお陸上を続ける軌跡を追う。
自分の陸上がしたい。環境に打ちひしがれた高校時代
2014年春、掛川栞は鳴り物入りで愛知県の強豪私学、安城学園高等学校に進学した。前年度の中学女子200mでは24秒84で全国ランキング1位。そして愛知県中学新記録を樹立していた。その学年では日本最速、そして愛知県の歴史上最も速い女子スプリンターとして名門陸上部の門を叩いた。
必ずインターハイで3連覇する。
絶対にオリンピックに出る。
日本記録を更新し、世界で戦う選手になる。
これが掛川の高校入学時の目標だった。高校に入学した直後の5月、中学時代の実績が評価され、アジアユース五輪の日本代表に選出された。
200mでアジア5位に入った。世界はすぐ目の前にあった。
「大好きな先輩とリレーを組みたい」との思いで安城学園高校への進学を選んだ掛川。1年生からリレーメンバー入りをして、その夢もすぐに叶った。
高3で迎えるリオ五輪の代表入りも不可能ではない位置にいた。オリンピック有望選手の合宿にも参加し、オリンピックには絶対に出ると思っていたし、日本記録を超えて世界でも戦える選手になると強く思っていた。
中学時代は自主性と、父親の献身的なサポートで全国優勝を勝ち取った。
「コーチから専門的な指導を受ければもっと上までいける。」
そう思うと気合いが入った。コーチを信じて、オリンピック、日本記録を目指そうと思った。そんな熱い思いで入学した掛川だが、高校1年生の5月にアジアユースで200m25秒26で走り5位になった以降、3年間その記録を上回ることはなかった。高校3年生になる頃には100mは13秒台、200mでは27秒台にまで記録を落とした。一体なぜ…。
当時のことを掛川はこう語る。
高校1年生の夏までは、憧れの先輩とリレーを組むことが出来て、とても楽しかった。しかし、先輩が引退してからは少し状況が変わりました。
中学時代から自らの走りを自分でつくり上げていた掛川だが、初めて本格的なコーチに指導を受け、自分の感覚とは違う走りをするように言われた。あまりにも違和感があり、コーチにそのことを伝えたが、「やり続ければ速くなるから」と言われて従った。走りがみるみるうちに崩れていった。1年生の冬には取り返しのつかない状況にまでなっていた。
中学時代までの掛川は、兄や父と一緒に練習することが多く、誰かに指示されてやる練習よりも、自ら考え、自ら動きを作っていくというスタイルで陸上に取り組んだ。その先に全国制覇があった。
しかし、高校陸上部の方針はそれとは異なっていた。基本的には監督やコーチの指示に従って練習をする。周りの選手たちもそれを当然のこととして受け入れていた。これが、自ら考えて陸上をしてきた掛川には受け入れることが出来なかった。
なぜ、言いなりにならなければならないのか。自分の陸上がしたい。
その思いを監督に伝えると監督は答えた。
「どうしてもやりたいなら、みんなとのメニューが終わってから自分でやってくれ。」
掛川は、それを実行に移した。ただでさえハードな全体練習に加えて、自分の練習も加えた。「やり切って見返してやる」とも思ったが、1ヶ月で無理がきた。オーバートレーニングだった。精神的にもズタズタだった。
掛川は、当時の心境を語る。
部活に行くことも、学校に行くことも嫌になった。泣きたかったが、泣くことすら出来なかった。自分の心を消してただ学校に通っているだけ。そのころの記憶はほとんど残っていない。いや、残したくなかった。写真のデータもほとんど消しました。
さらに、悲痛な思いは続いた。
人が怖く信じられなくなり、さらに高校の個人行動の時間が一切ない組織的な陸上のやり方が大嫌いで、大好きな陸上を嫌いになりかけた自分が悔しく、陸上競技というものに対して申し訳なさでいっぱいだった。正直、結局何も行動できなかった高校時代の自分が人には伝えれないくらいに本当に大嫌いです。成績で自分の全てを評価されてる気がしてそれを裏切ったのは自分ですが、周りに人がいなくなるのが本当に怖かった。
走る楽しさを改めて実感。自由を求めた大学時代
中学時代に日本の頂点を極め、インターハイ3連覇を志して入学した安城学園での日々は黒ずんでいた。結局、インターハイ3連覇など夢のまた夢、個人では一度も出場することすら出来なかった。どん底まで落ち、何もかもが嫌になっていた掛川だが、高3の夏ごろ、久しぶりに強制されることから解き放たれて走ったことがあった。
いつぶりだろうか、
走ることってやっぱり楽しい。
心からそう思った。
それに気づいたところで高校での陸上生活は終わった。高校卒業を期に、陸上を辞めようとも思ったが、結果的には辞める選択はしなかった。高校での失敗を踏まえて強豪校は選ばず、自由にやれる大学を選んだ。
もう一度大好きな陸上をやりたい。勝つとか、そういう気持ちは全て捨てて1から好きなように、尊敬できる仲間と、楽しく走りたい。
「インカレ優勝などそういう目標はなく、ただもう一度大好きな陸上を心の底から楽しむことだけを考えていました。」
それが素直な気持ちだった。
さらに続ける。
大学入った時も褒められたり期待されると嬉しい気持ちより、またこの人たちも私の周りからいなくなるんじゃないかという恐怖がありました。
ですが、その気持ちを吹き飛ばしてくれるくらいに本当にとても素敵な先輩や同期、後輩に出会えて心の底から幸せだし、自分が好きになることができました。
人とも積極的に接することができ、人脈も増えてとても私は恵まれていると思えるようになりました。
そう語る掛川は、大学1年の時に復活の東海インカレ200m優勝を果たした。そして大学2年時に100mの自己ベストを実に5年ぶりに更新した。
嫌いになりかけた陸上競技、大嫌いになった高校時代の自分自身。
どん底まで落ちた彼女に笑顔が戻った。
中学時代に栄光をつかみ、そして高校時代の挫折を味わった掛川。
その掛川も2020年が大学でのラストシーズン。
陸上を初めて15年間、本当にいろんなことがあった。
紆余曲折あってその先に見つけたのは、
やっぱり私は陸上が大好きなんだという気持ち。
大学に入って尊敬できる先輩たちに救われました。今はその先輩達に褒めてもらえるようなラストシーズンにしたいと思っています。