【努力を重ね指導者へ】苅部さんが見据える陸上界とは

【努力を重ね指導者へ】苅部さんが見据える陸上界とは

2024.10.03
2024.10.03
アスリートの君へ

前編では、陸上競技と出会いから、独学の練習方法についてお伺いしました。後編では、指導者になるまでの道のり、そして今の陸上界・学生たちに向けてお話ししていただきました。

世界選手権を経て芽生えた「オリンピック」への気持ち

大学入学当初は4年間で競技を終える予定だったという苅部さん。しかし、続けようと決心したのは世界選手権を経験して「オリンピック」という舞台を目指したいという気持ちが芽生たからだった。

苅部:

元々は大学4年で競技を引退して、普通のサラリーマンになる予定だったので、就職活動も並行して行っていました。早くに富士通さんからお声がかかっていたので、就職するか富士通さんで競技を続けるかの二択でした。

そんな中、大学4年生で世界選手権に出場し、世界のレベルを目の当たりしたことで、「オリンピック」という誰もが憧れる世界最高峰の舞台に挑戦したいという思いが芽生え、競技を継続することを決めました。

競技を継続しようと決めた時、引退時期は決めておらず、走れるまで走ろう、次年度に世界大会へ挑戦する権利があるまでは走り続けようと心に決め、前だけを見て走り続けていました。

 

仕事と陸上の両立

月曜日はフルタイムで働き、他の平日も14:00まで仕事をしてから練習に取り組んでいた苅部さん。大変なこともあったが、生活にメリハリがついたことで、働くことに対してマイナスな気持ちは持っていなかったという。

苅部:

何よりプロ選手とは異なり、身近に応援して下さる会社の方々がいたことが大きな支えになっていました。自分のことを温かく受け入れ、そして見守り、時には試合に駆けつけてくれることもあり、とても感謝をしていました。

常に「競技をやらせて頂いている」という感謝の気持ちを忘れず、仕事も手を抜かずに真剣に取り組んでいた。 

学びを深める為に大学院進学

競技を継続していく中で、自分が独学で行ってきたことが科学的に正しいのか、根拠があるのかを確かめたいという思いが芽生えてきた。学業に専念するために富士通とは契約という形を取り、結果が出なくなってしまったら契約解除という危ない橋を渡りながらも競技と共に勉強にも打ち込んだ。

苅部:

自分が社会人で競技を続けている中で周りを見渡した時、自分が年長者ということに気づき、自分には「これまでの知識や経験を次の世代伝えていく使命がある」と感じました。

その為、科学的な側面から陸上を学び、今までの経験と科学の答え合わせをしました。

その後も将来を見据えつつ、陸上競技に真摯に向き合い、努力を重ねていった。

 

引退を決めた「指導への情熱」

引退した時、年齢も重ね身体的厳しさを感じてはいたものの、正直自分はまだ走れるだろうという思いがあった。その思いを抱いたままなぜ引退を決めたのかー。

苅部:

引退をすると決めた数年前から法政大学でプレイングコーチを任せて頂いていました。その中で、陸上部のコーチをやらないかというお話を頂いたのですが、コーチをするのであれば「競技は引退すべき」と言われてしまいました。そのことを伝えられた時、このような形で引退することに対してもちろん抵抗があり、最初は素直に受け止めきれませんでした。しかし、自分が競技を行うことよりも学生に教えることの方が少しづつ楽しくなってきていたため、引退を決意することができました。ずっと目標だったオリンピックにも出場することができ、競技に対しても未練がなかったのかもしれません。

指導者になってみて

指導者になる時に、目標として「教え子をオリンピックの舞台へ連れていく」というものを掲げていた。しかし、結果よりも大切なことを指導者として目指していた。

苅部:

オリンピックや世界大会など大きな大会に教え子を出場させるということはもちろん指導者としての理想ですし、いつかは達成したいことでした。しかし、昔から今も変わらずに、学生には「大学4年間陸上を続けて良かった。楽しかった。頑張って良かった。」と思って卒業して貰いたいです。

学生には、常に「周りの方のおかげ」で競技ができている感謝の気持ちを忘れず、謙虚で学び続ける姿勢を大切にしてほしいと願っている。

理想へと導く「指導者」

人それぞれ、経験値もレベルも異なるため、個々にあった指導を心がけているという。しかし、積極的に指導することは多くありません。それは一体なぜかお聞きしました。

苅部:

陸上競技は感覚の競技・世界であり、どんなに周りからアドバイスを貰っても、自分で理解していないと体現することは不可能です。だから、私がアドバイスをするよりも選手自身が自分で気づいた方が身につき、より自分の為になると思うので、詳しいアドバイスはしません。指導者は理想まで導いてあげることが一番の仕事だと思うので。ただ、質問してきた選手にはしっかり答えられるように、日々の観察、勉強は怠らずにしています。

また、自分自身が練習をやりすぎてしまっていたのはもちろん、現役の時に一番欲しかった「客観的な目線からの意見」を選手に伝えることも意識しています。レベルの高い選手は、自身の感覚がある程度確立されているので、その感覚を自分の指導とすり合わせることを意識しています。

自分が指導者だからといって横柄な態度をとるのではなく、選手からも学ぶことは多くあると思い、いつでも学びの精神を大切にしている苅部さん。

どんなに高い競技力を持っていても、素晴らしい指導者であっても、決して驕らず、謙虚な人柄だからこそ、選手から好かれ、苅部さんの元で学びたいと思う選手が多くいるのだろう。


「為末大さん」

世界のトップを生で見てきた経験から、選手の走りを見て、考え方や体の使い方を理解できることが多いが、唯一、苅部さんの想像でも追いつかなかったのが、為末大さんだった。

苅部:

他にもこの選手の動きは真似できないと思った選手は多くいるのですが、彼の動きや走りは他の選手とは一線を画し、異次元でした。

身体能力はもちろん、ここまで真摯に陸上競技や自分に向き合い、考えながら取り組んでいる選手は見たことありません。

これから先、このような選手がどんどん現れて欲しいですね。

競技を継続するか悩んでいる選手へ

苅部さんが学生の頃はバブル時代で、就職自体、今よりかなり簡単だったため、陸上を辞めてもどうにかなるだろうと思っていたそう。

自分自身も競技継続を悩んでいたからこそわかる気持ちもあり、無責任なことは言えないが、もし続けたいと思うならぜひ続けて欲しいと言う。

苅部:

続けること・辞めることどちらが本人にとって正解かは分からないが、やらずに後悔したり、諦めてから「やれば良かった」と思うのであれば失敗を恐れずに挑戦してほしい。続ける価値を考えてしまったり、周りのレベルの高さや将来のことなど様々なことを考えてしまうと思うが、たとえ結果が出なくともやること・続けることに価値や意味があり、もし失敗をしたとしても得られることは何かしら必ずあると思う。周りに流されずに自分の素直な「陸上を好きな気持ち」と向き合ってよく考えて欲しい。もし、やめる選択肢をとっても、一つのことに夢中になれたこと、夢に向かって努力を続けてきたことを自信にしてこれからのそれぞれのステップに繋げてほしいですね。

今の時代の選手へ

苅部:

今はネットなど様々な場所から様々な方法で情報が入ってくる時代。良いことももちろんあるが、惑わされて自分を見失わないで欲しい。色々なことを取り入れることは大切だが、自分に合っているものや方法を探して中身(本質)を見て欲しいですね。

また、高校生から大学生、大学生から社会人、など次のステップに上がるタイミングで結果が伸び悩んでしまう選手が多いと思う。過去の自分と比べるのではなく、今の自分と向き合うことを大切にして欲しい。過去にできていたからとつい過信してしまったり、過去を振り返り、戻り、そして過去と比べるのではなく、今の体を理解し、受け入れて今の自分にあったことをしていけば、新しい自分と出会い、成長することができるはずです。

苅部:

そして、陸上競技が盛んになるために、厳格なスポーツを保ちつつも見る人もやる人もどちらもがさらに楽しめるスポーツ、魅せるスポーツにしていきたいですね。若い人のバイタリティを工夫したり、遊び心を増やして行くことが今後の陸上界に必要なことだと私は思います。

INTERVIEWEE

苅部 俊二

苅部 俊二

法政大学陸上競技部 監督
1969年5月8日神奈川県横浜市出身。
横浜市立南高等学校から法政大学経済学部を経て富士通に所属。
主な成績として、世界室内陸上競技選手権大会400m銅メダルや、元400mH日本記録樹立がある。
現在は法政大学陸上競技部の監督として活躍する傍ら、日本陸連の短距離部長も務める。
自己ベストは、400m45秒57 /400mH48秒34。

WRITER

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熊谷遥未

2001年11月16日東京都出身。田園調布学園を経て法政大学に進学。2023年の日本選手権では、女子400m決勝進出という実績を持つ。自己ベストは400m54.64(2024年8月現在)。現在は、青森県スポーツ協会所属の陸上選手として活動する傍ら、2024年9月より陸上メディア・リクゲキの編集長を務める。