勝瀬健大選手が100m10.39の復活PB!「辛かった7年間の記憶が蘇ってきた」

勝瀬健大選手が100m10.39の復活PB!「辛かった7年間の記憶が蘇ってきた」

2022.11.08
2023.05.19
インタビュー

今月3日に、静岡県のエコパスタジアムで行われた「エコパトラックゲームズ」の男子100mA部門の決勝で、勝瀬健大選手(なにわJAC)が自己ベストとなる10.39で4位に入賞した。
勝瀬選手は、高校3年時の和歌山インターハイで100m3位に入賞しており、その後7年間自己ベストが出ていなかった。
10月に行われた日本記録挑戦会で、7年ぶりの自己ベストとなる10.41をマーク。
その後、1ヶ月も立たないうちに再び自己ベストを記録。まさに「完全復活の自己ベスト」と言える今回のレースについて勝瀬選手にインタビューを実施した。

自己ベストを出した思い

勝瀬:(今年10月)7年ぶりに自己ベストの10.41を出したときは、正直嬉しいというよりかは 「辛かった」が9割です。大学でも新人戦で10.43+.1.8をスタートでバランスを崩しベストタイ。その後、狙った試合はすべて向かい風 。思えば、ここ数年は負のサイクルの連続でした。

・2019年にアメリカに留学→食事、睡眠、フォーム、ウエイト全てを改善するも帰国後コロナで試合がなくなる→帰国後デビュー戦で100mを予選で10.44-0.2(当時10.43+1.6)で走る→決勝は脚が攣りチャンスを逃す。
・翌日の200mで20.94-0.7 で5年ぶりに自己ベスト→手応えを感じるも2日後の練習で膝を怪我→庇い足首を骨挫傷し、練習を詰めずインカレでは準決勝落ち。→足首が治る頃に小指を粉砕骨折で7ヶ月走れずウエイトだけの日々。
・夏から走り始めるも前太腿の痛みでウエイトだけの日々→9月から走り始め10月の田島記念で10.56で走り手応えを感じシーズン終了。
そして今年も2月まで練習を詰むが肉離れにより7月まで引きずる→ 7月からもハムの違和感

長い間、ずっと足首と膝が痛めつつ体と相談しながら走っていました。
だからこそ、たった0.02でも自己ベストを更新した時、「自分の今やっていることは正しい」と辛かった7年間の記憶が蘇ってきました。
ベスト後、数日間はスクリーンショットしたレースのリザルト(結果)を見てしばらくその数字を眺めていました。

自己ベストを出したレースの感触

高校時代の勝瀬選手(中央ピンクのパンツ)。先頭は、大嶋選手(当時東京高)・サニブラウン選手(当時城西高)

勝瀬:フォームを変えて以来、調子が良いと思ったことはまだ全くなく、今年は「この期間でこんだけ練習できたから無風でこんくらいのタイムが最低出るだろう」と予測し、全レースドンピシャで当てれました。 前半型だったのを、アメリカで走り方を変え、後半型に変えたので「後半は勝負になるだろう」と思っていましたが、エコパの決勝では体力不足を感じました。
脚の調子を様子見しながらだったので、練習でも本数を走れないため、顔が上がってからの走りの技術はこのシーズン中上げることはできなかったです。
エコパではスタートもイマイチ「パッ」とせず、最後80mでハムに不安感が出たので少し不完全燃焼でした。

10.39(+1.4)で自己ベストでしたが「せっかくいい(追い)風が吹いたのにチャンスを無駄にしてしまった」という気持ちの方が強いです。

今シーズンを振り返って

勝瀬:2月の肉離れを焦ったせいで7月中旬まで怪我を引きずり、去年と同じようなことを繰り返してしまいました。 しかし今年はここ数年の中でも、どんな時でも「今やれることだけを絶対にやる」ということだけを考えることにしました。「他の走りに惑わされていては絶対にタイムは出せない、でもやりたいことをこなせば必ずタイムが出る力がある」というのだけは確信していたので、心の中で何度も唱え、勝ちたいという気持ちやプライドも全て捨ててレースに挑んできました。
そして、3年以上かけてアメリカで学び自分なりに解釈して作り上げた走りを試したいという気持ちもすごくあったので、そういう意味でもたくさんのことを得られたシーズンだと思います。
負けた時には「2ヶ月しか練習してない俺とたった0.1秒差、実質俺の勝ち」と自分に何度も言い聞かせてました。

勝瀬選手がリクゲキの読者の方々に伝えたいこと

外国での武者修行を行なってた際の写真

勝瀬:「黒人選手のような走りは骨格が違うからできない。自分にあった走りが一番、外国人とは食が違うから」という「やる以前に決めつける」「短期間やってみただけで諦める姿勢」が正直めちゃくちゃ嫌いです。すでに、中国人選手の蘇炳添が30歳を超えて9.83のアジア記録を出し、サニブラウン選手もアメリカで学び結果を残し、結果で証明してきているにも関わらず、未だに「根拠のないトレーニング理論」や「食べるものを変えたら良いだけのことをしない人たち」に対し、僕が「高校がピークで記録が停滞したところから、食事も走りも全て変えて再び日本短距離界のトップ選手に這い上がる姿」を見せていきたいと考えている。
まだほんの少し進み始めただけですが、少しでも多くの選手がこれからの僕を見て希望を持ってくれるような選手を目指します。

勝瀬選手の陸上の歩みは「WAKUWAKU NICEDAY」でご覧ください。

勝瀬選手は、WAKUWAKU NICEDAY というYOUTUBEチャンネルを開設しており、練習風景や試合結果をアップロードしています。
「今後も勝瀬選手を応援したい!」と言う方は是非チャンネル登録をよろしくお願いします!

WRITER

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佐藤 玄主

1999年11月20日 兵庫県芦屋市出身。市尼崎高校出身。 毎年1月10日に兵庫県西宮神社で行われる「開門神事福男選び」において1番福を獲得。 現在は、株式会社オマツリジャパンで祭りを活用したコンテンツ造成や企業プロモーションに傍ら、リクゲキの運営に取り組む。