「オリンピアン議員」の挑戦。五輪選手時代の胸の内と為末大選手について、チームミズノへのエールを語る

「オリンピアン議員」の挑戦。五輪選手時代の胸の内と為末大選手について、チームミズノへのエールを語る

2020.04.15
2023.05.29
インタビュー

400mHでオリンピック・世界陸上出場。日本選手権優勝。自己ベストは日本歴代2位の47秒93という輝かしい成績を残した成迫健児(なりさこけんじ)さん。
引退後は大分県議会議員(2期目)と第二の人生を歩んでいますが、現役時代に経験した様々なプレッシャーとの闘い、ライバルとのエピソード、今後のお話などをお伺いしてきました。

五輪選手時代には、様々なプレッシャーがあった。

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ハードルを始めたきっかけから、オリンピック出場までのご自身と周囲の変化を教えてください

ハードルは中学2年生の頃から始めました。練習を重ねるうちに記録も向上し、県大会優勝・九州大会にも出場することができました。高校に進学し、400mHに挑戦すると、全国の舞台で戦える選手になりました。
その後は、オリンピックや世界陸上にも出場することができましたが、プレッシャーもとてつもないものでした。特にオリンピックはとても緊張しましたね…選手目線で言えば、オリンピックは、世界陸上に比べて特別感があるように思えます。
国民の皆様からの期待を肌でビリビリと感じました。背負うものの違いを体感しました。ですが、あの時の感覚は忘れることができず、今も密かに東京五輪に出場するために、ひっそりと競技場で練習していることもあるんです(笑)

現在、日本陸上界は過去稀に見ないハイレベルな戦いが繰り広げられています。現在の日本代表選手や、現役時代に所属していたチームミズノの選手へのエールをお願いします

100mをはじめとして、日本陸上界のレベルが上がっていることは誰もがわかります。ハードルで言えば、110mHのゼンリン高山選手のハードリングは匠の技とも言えるでしょう。もう完成の域に達しています。順天堂大学の泉谷選手も荒削りなフォームながら、追い風参考で13秒2台で走っているので、今後期待が膨らみます。
ちなみに、今年の日本選手権も現地観戦をしました。私がかつて所属していたミズノの金井選手のフライングに関しては、本人ではないですが、とても悔しかったですね。しかし、全力を尽くした結果なので仕方のないことです。メーカーを背負うという気持ちやプレッシャーは、とてもわかります。私自身、為末さん(400mH日本記録保持者)に負けた時は、「ブランドを背負っているのに負けたのか…」というショックや、結果が出なかった時のストレスがありました。ですが、そのプレッシャーをバネにして好記録が出た時は、言葉に表せない喜びがあります。
野澤くんや松下くんをはじめとするミズノ所属の選手の皆様、安部選手や岸本選手といったハードルを専門とする選手の皆様、隠れて応援していますので、頑張ってください!

尊敬するのは、陸上界のレジェンド為末大選手。為末選手ラストレースで起きた二人の悲劇とレース後の会話

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成迫さんにとって、400mHでのライバルだった、為末大選手の存在について教えてください

私が400mHを始めた頃に、為末さんは世界大会で銅メダルを獲得しました。
その後、競技力的には日本ランキング10番前後の時に行われた合宿に、為末さんと参加させて頂きました。私からすると、為末さんは雲の上の存在ですので、目をキラキラさせてお話を聞かせていただきました。その後も「一緒に世界で戦おう。決勝に共に残ろう」などのお声かけのみならず、動きの助言なども頂きました。最終的に、自己ベストだけで見るとライバルと言えるかもしれませんが、私にとっては師匠であり、ずっと尊敬の眼差しです。また、為末さんは世界大会の決勝という慣れない大舞台で自己ベストを出されていますが、私は大阪グランプリという、国内の条件の良い大会で自己ベストを出しました。そのような点でも、為末さんの偉大さが感じられます。

為末大選手のラストレースは誰もが予想しない展開を迎えました。同じレースで走った成迫さんと為末大選手はレース後にどのような会話をされたのですか?

為末さんの最終レースは、ロンドン五輪の選考レースでもありました。
私は為末さんと同じレースを走ることになりました。為末さんは「このレースで引退する」と公言されており、最後のレースだからしっかり戦おうと意識していました。周囲も、「日本記録保持者VS日本歴代2位」のレースということで盛り上がっていたようです。
そして、迎えたレース本番。私はスタートしてから中盤まで足に違和感がありました。実はこの時点で筋肉が部分断裂していたのです。スピードも落ち、軽く走っていて「止まろうか…」と思いつつも、為末さんの姿が見えないなと思っていました。すると、その時でした。チラッと横を見ると、為末選手の走る姿が見えたのです。
この瞬間、私はレース続行を決意しました。最後は、二人でビリ争いを繰り広げましたが、なんとか勝利することができました。
さすがにレース直後は、私も怪我がショックで、為末さんとも会話はしませんでしたが、少し時間が経ってから為末さんに「お前、俺が走ってるの見てちょっと飛ばしたやろ!」と言われたことは今でも覚えています(笑)
転倒しても、走りきった為末さんには「やりきった感」が溢れ出ていました。 このような点にレジェンドらしさを感じます。
ちなみに、今も当時の古傷が痛むことがあります…。

陸上の次は大分県議会議員として活躍!「オリンピアン議員」としての今後はいかに?

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まずは選挙でのご当選おめでとうございます。そんな成迫さんが大分県議会議員に出馬されたきっかけを教えてください

私の地元である大分県佐伯市は、少子高齢化や若年層が都市部に移動することによる人口減少(年間1000人を超える人が減少している)が深刻化しています。ミズノを退社後には、佐伯市役所に勤めていたので、それらの問題や教育委員会に所属していたので、学校の統廃合なども目の当たりにしてきました。
事実、佐伯市は消滅都市としてもランクインしており、速やかな取り組みが必要不可欠です。「このままでは佐伯市が衰退していく」と考えた私は、現状を変えるためにも、大分県議会議員に立候補することを決意しました。まずは、佐伯市の復興予算の増額を県議会に提案しています。

大分県議会議員としての今後の展望を教えてください

今後は、スポーツを専門としているので、県民の皆様の期待に応えたいと考えております。ラグビーワールドカップが大分県で開催されることが決定しており、県民の皆様のスポーツへの関心が、ここで一気に高まると予想しています。このスポーツ関心の大波を無駄にすることはできません。
スポーツをするのは、健康維持にや健康増進にもつながり、平均寿命の向上や心も体も豊かにする力を持っています。
一年後に東京五輪も開催されるので、一オリンピアンとして、盛り上がりに貢献したいです。県議会でも早速、「スポーツをどのようなレガシーとして残すのか」という内容で一般質問を行いました。東京のみならず、地方でも
一過性のものではなく、持続可能性をもってスポーツ活動に取り組むためにも、政治の面からやれることに取り組んでいきます。

私の原点は大分県の佐伯市です。支えてくださる全ての方への感謝の気持ちを忘れず一歩一歩前進してまいります!

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多くの方々に支えられていると思いますが、最も感謝の気持ちを伝えたい方はいらっしゃいますか?

何と言っても、佐伯市の皆様への感謝の気持ちはとても大きいです。陸上競技も自分の人生も、佐伯市が全てのベースとなっています。私の本質的な故郷である佐伯市の皆様のおかげで、今回も県議会議員に選出して頂きました。感謝の気持ちを、形にしてお返しするべく、県議会議員として新たに頑張っていきます。

最後に成迫さんの志を教えてください。

私の志は、「感謝し続けること」です。
この思いは、永遠に持ち続けていきたいと考えております。
幼少期より、今まで色々な出会いがあったからこそ、オリンピックに出場でき、県議会議員にも当選させていただきました。何か、ひとつでもかけてたら今の自分はなかったでしょう。今回、感謝の気持ちを表現することができる立場(大分県議会議員)になれたことは大変な喜びです。
笑顔と感謝の気持ちを常に忘れず、今後の人生も歩んでいきます。

編集後記

私は、昨年行われた国道1ban(国道No.1王者決定戦)で成迫さんと初めてお会いしました。その後もSNSでの連絡を通して、このような取材の機会を頂きました。私も陸上競技に取り組んでいる一選手として、成迫さんの凄さというのはお会いする前から存じていました。今後は、大分県議会議員として佐伯市の復興と、スポーツ活動への取り組みを期待しています。また砂浜で行う陸上競技大会(仮名:Beach Athletics)の開催も共同で企画していく予定です。皆様お楽しみに!そして、成迫さんの大分県議会議員としての活動を応援しています!

INTERVIEWEE

成迫健児(なりさこけんじ)

1984年7月25日大分県佐伯市出身。
佐伯鶴城高校、筑波大学体育専門学群を経てミズノへ就職。
小学生時代には、水泳とサッカーに取り組み、陸上を本格的に始めたのは中学校から。
競技に取り組んだ当初は100mや1500mを専門種目にしており、ハードルは中学2年時より始めた。その後、400mHでオリンピック・世界陸上に出場。自己ベストは日本歴代2位の47秒93で、日本選手権優勝の経験も持つ。
ミズノを退社後は、地元の佐伯市役所に採用。
現在は、今年行われた大分県議会選挙で当選し、大分県議会議員1期目を務める。

WRITER

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佐藤 玄主

1999年11月20日 兵庫県芦屋市出身。市尼崎高校出身。 毎年1月10日に兵庫県西宮神社で行われる「開門神事福男選び」において1番福を獲得。 現在は、一般社団法人おんげんの代表として、日本文化を活用したコンテンツ造成や企業プロモーションに傍ら、リクゲキの運営に取り組む。