今しかできない挑戦のために──ゼロから始まった私の陸上人生

今しかできない挑戦のために──ゼロから始まった私の陸上人生

2025.06.28
2025.06.28
アスリートの君へ

偶然の出会いが、私を走らせた

中学校に進学する際、母から「絶対に運動部に入ってほしい」と強く言われていました。ただ、正直なところ、これといってやりたい部活もなく、迷っていましたが、たまたま担任の先生が陸上部の顧問だったことから、陸上部に入部することを決めました。
もともと長距離はもちろん、陸上競技自体にも興味はなく、本当にゼロからのスタートでした。

中学校では、偶然にもリレーの強い学校だったことから最初は短距離に取り組んでいました。しかし、ある日の練習で行われた持久走で、長距離選手の次にゴールできたことがきっかけで、先生から「これからは長距離だ!」と言われ、長距離へと転向。最初は練習の距離が長くてつらく、正直嫌でしたが、それでも頑張ればタイムが伸びていく長距離の魅力に、だんだんと惹かれていきました。

2年生になると、県の強化練習会に参加させて頂き、他校の仲間たちと出会うことができたのも楽しい経験でした。あと2秒届かず全国大会の出場を逃したときは、とても悔しかったです。しかし、ゼロから始めた私が、全国を目指せるところまで成長できたことに、大きな達成感を感じていました。また、都道府県駅伝では1位で襷を受けたにも関わらず、6人に抜かれてしまい、そこでも悔しさを味わいました。このような経験があったからこそ、高校ではより高い目標を持ち、上を目指そうと思えました。

「楽しい高校生活」も「強さ」も両立したくて

高校進学の際、私は「陸上だけの3年間にはしたくない」と思っていました。学校行事がしっかりしていて雰囲気の良かった川崎市立橘高校へ進学。自分が高校生活を心から楽しめる場所を選びました。

入学した陸上部は、長距離では無名なチーム。しかし、「自分がこのチームを強くしていくんだ」という強い気持ちで入部しました。通学に片道1時間以上かかる日々、行事の多い学校との両立は想像以上に大変でしたが、部活だけでなく、やりたいことにも全力で取り組める環境が、自分にとってはとても充実していました。

練習においても、中学時代は「とにかく全力で走る!」というスタイルでしたが、高校では「この練習は何のためにあるのか」「試合に向けてどう逆算して練習を組み立てるか」といったことも学ぶことが出来、その考えは今でもとても大切にしています。

一歩ずつ、目標に近づいた高校3年間

2年生になると、少しずつ結果が出始めました。入学当初はインターハイを目指していたわけではありませんでしたが、先輩方の姿を見て「自分もあの舞台に立ちたい」と思うように。結果、1500m3000mで出場することができましたが、全国の壁は高く、圧倒されました。

私は常に「高い目標を掲げる」よりも、「今感じたことを次に活かす」ことを意識して積み重ねてきました。その姿勢が、3年生で南関東大会の1500m3000mの両種目で優勝するという結果に繋がりました。内容としては不完全燃焼でしたが、やっと努力が報われた瞬間でした。

決断の連続が、自分をつくった

高校3年間を振り返ると、大きな挫折はなかったように思います。もちろん、悔しい思いをしたことは何度もありましたが、そこで立ち止まらず次の目標を掲げられていたことが今に繋がっていると思います。また、体調の変化にも敏感で、ケガをせずに継続して練習ができていたことも大きかったです。

「やると決めたらやり切る」という強い意志でどんなことでも乗り越えてきました。

「今しかできない挑戦」ー実業団への道ー

高校選択のときに「学校生活の充実」を重視したことは、良い面もありましたが、「もっと陸上だけに集中していたら、さらに上を目指せたのでは?」という思いも芽生えました。普通の大学生にはいつでもなれますが、競技を続けられる時間は限られている。だからこそ、「今しかできないことに集中したい」と思い、実業団への道を選びました。

地元・横浜にあり、都道府県駅伝でお世話になった先輩方が在籍していたこともあり、迷いなくパナソニックさんで競技を継続させて頂くことになりました。理想の環境で競技に打ち込む日々が始まりました。

自分を信じ、もう一度走り出す

ところが、社会人12年目は思うように結果を残せませんでした。高校時代のような自信が持てず、初めて自己ベストも更新できませんでした。コロナ禍の入社、慣れない仕事や環境、高卒1人の孤独。悔しさや苛立ちを感じる日々もありました。

しかし、過去に戻るのではなく、「今の自分を進化させる」ために「自分は何を目指し、どう進むべきか」その問いに正面から向き合い、目標から逆算して練習に取り組むことで、一つひとつ課題を乗り越えていきました。

また、悩んだときは、信頼する人たちに思いを打ち明けました。自分を大切に想ってくれる言葉や、そっと背中を押してくれる励ましに支えられ、前を向くことができました。

変化を恐れず、自分の道を歩む

私は、周囲の良いところを吸収できる反面、自分自身に集中しきれないことや自信を持てない時期もありました。

また、実業団で活躍していても、日本代表にならない限り注目されにくい現実に直面し、「自分が本当に目指す場所に辿り着くには、自分を変えなければならない」と感じました。

そんな中、実業団時代の監督からの提案で、昨年の23月、オーストラリアのプロチーム「メルボルン・トラッククラブ」で1ヶ月半もの間、武者修行をしました。初めての土地での一人暮らし、言葉の通じない環境で必死に練習に食らいついた経験は、自分にとって大きな挑戦でした。

世界との距離を肌で実感できたことで、「この差を埋めれば自分も世界と戦えるかもしれない」と可能性を感じ、現地や日本人選手たちが世界を目指して取り組む姿に刺激を受け、自分も「もっと高みを目指したいという」気持ちが芽生えました。この経験が新しい道を進もうと決めたターニングポイントでもありました。

そして私は、今年から個人として競技に挑むことを決意しました。今はスポンサーを募り、自分自身で理想の環境をつくりながら競技に取り組んでいます。実業団が正解・不正解ということではなく、成長するためには必要な決断でした。応援してくださる方々の存在、チームで頑張る喜びも学べた時間があったからこそ、今の私があります。

未来への挑戦

私の今の目標は、2028年ロサンゼルス五輪のマラソンで、日本代表としてスタートラインに立つことです。まだマラソンには取り組んでいませんが、その通過点として現在は5000mに挑戦しています。

今年は「日本代表になる」という目標を掲げていましたが、シーズン初めに早速目標を達成し、アジア選手権に出場することができました。「日本代表」が現実的になったことは大きな自信になりましたが、結果を意識しすぎて納得いく走りができなかったことは課題として残りました。

私は、目的がぶれると本来の力を発揮できません。やりたいレースをして、結果がついてくる――そのスタイルが私らしいと改めて感じました。

また、アジア選手権では、他種目の代表選手たちとも交流する中で、「トップの選手は、自分に自信がある」ということを肌で感じました。そこに自分との違いを見出し、「まだまだ努力が足りない」と思えたことは大きな収穫でした。

応援されるアスリートでありたい

私の原動力は、陸上のことを考える時間、そして結果を出すことで感じる達成感です。長い距離を走ることは決して楽ではありませんが、その先にある喜びや、応援してくださる方々の存在が、頑張り続ける力をくれます。

常に目標を掲げ、それに向かって日々を積み重ねる。大きな目標に向かうために、小さな目標を立て、今の行動がどこにつながるのかを考えながら練習する。その意識が、つらい時でも体を動かし続けるエネルギーになります。

私は「自分もこの環境で頑張りたい」と思って下さる方が増えるような存在になりたいと思っています。これまで多くの挑戦と決断をしてきましたが、失敗から学べたこと、挑戦して初めて見える景色がたくさんありました。

挑戦には勇気が必要です。しかし、一歩踏み出さなければ、何も始まりません。だからこそ、多くの方には、自分の気持ちを大切にし、恐れずに挑んでいってほしいです。私自身も、自分のそのような姿を通して、陸上の楽しさや勇気を届けられる選手になりたいと思っています。

これからも、「応援されるアスリート」を目指して、精進していきます。

応援のほどよろしくお願いいたします。

 

INTERVIEWEE

信櫻  空

信櫻 空

信櫻 空(しのざくら そら)
神奈川県出身。川崎市立橘高校を経て、パナソニックに高卒ながら入社し、5年在籍。
そして2025年からは個人で競技を継続。
2025年 アジア選手権に出場 初めての日本代表
2028年ロサンゼルス五輪でマラソン出場を目指して挑戦を続けているアスリート

WRITER

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熊谷遥未

2001年11月16日東京都出身。田園調布学園を経て法政大学に進学。2023年の日本選手権では、女子400m決勝進出という実績を持つ。自己ベストは400m54.64(2024年8月現在)。現在は、青森県スポーツ協会所属の陸上選手として活動する傍ら、2024年9月より陸上メディア・リクゲキの編集長を務める。