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IHチャンピオンが北の大地で開いた新境地-高橋佑輔

高橋佑輔。彼の名前を聞いて、2017年度山形インターハイ800mチャンピオンの肩書きを思い浮かべた方は多いだろう。彼に取材をする中で、アスリートには珍しい弱気な発言が多かった。特に印象的だったのがTwitterのプロフィール画像について。彼のTwitterのプロフィール画像はアニメのキャラクター。それ自体は特段珍しくないのだが、そうしている理由がそのキャラクターが好きということ以外に、副次的な効果としてあえて競技者らしくないものにすることで、名前を検索された時に目に留まりにくい、注目されにくいということがあるという。また、実際にサインを求められてもいつも逃げ出したくて仕方がないとも話す。アスリートらしくないインターハイチャンピオンの心中を紐解いてみた。

 

高橋 佑輔
北海道大学

1999年7月28日生まれ。神戸市立井吹台中学校から兵庫高校を経て、現在北海道大学の3年生 兵庫高校時代には2017年度山形IHにて800m優勝 、1500m第3位の成績。自己ベストは800m1分50秒32、1500m3分44秒43。趣味はアニメと旅行。

小学生の時は少年野球をしていた。打てない上に守れない、センスはなかった。でも、冬場の走り込みでは他の人より少し速かった。中学に入って、野球を続けることは考えられず、陸上部に入部した。そうして本格的に陸上を始めた彼の中学3年間でのベストタイムは1500m4分14秒02、3000m9分23秒20。決して遅いタイムではない。県大会で決勝に残るほどのタイムだ。だが、全中の参加標準記録にも及ばず、後にインターハイで優勝するには遠いタイムだ。いかにして彼がトップ選手になっていったのか。

兵庫高校で才能の開花
高校進学にあたって強豪校から声をかけられていた。「気の弱い自分は練習を見た時、レベルの高さにビビってしまった。親からの勧めもあったが、ここでは通用しないだろうと思って、勉強もできる学校に行こう。」と、進学校の兵庫高校へ進んだ。彼の転機となったのが入学して3ヶ月後の兵庫県選手権だ。ここで1500m3分59秒28をマークする。短期間での15秒近くのベスト更新の理由を伺うと、中学に比べて練習での走行距離が圧倒的に延び体力がついたと分析するが、当時は「よく分からなかった」というのが本音だと言う。

そして、1500mでは持ちタイムトップで迎えた学年別の県ユース大会。筆者自身、プログラムを見て「中学では名前を聞いたことがないとんでもないやつが現れた」と驚いたことを今でも覚えている。1500mは優勝し、県でのタイトルを初めて獲得。「初めて追われる側の立場になって緊張もあったが、これまで負けていたから負けても大丈夫と気楽に走れた」800mでは2位。「負けたことよりも県のトップと争えた喜びの方が大きかった」兵庫県の駅伝強豪校の須磨学園、西脇工業の選手に勝った勢いのまま、近畿ユースでは800で優勝、1500で2位に入った。当時について「実は2.3週間ほど前から負けられないプレッシャーから夜も眠れず、胃に穴が開きかけたこともあった」と振り返る。

岡山IH1500m予選(右手前が高橋選手)

こうして高校一年目で大きく頭角を現した高橋選手。彼が高校3年間で最も印象深かったレースは優勝した三年時の全国インターハイではなく、意外にも二年時の県総体だという。1500mで当時の西脇工業のエースの加藤淳さん(現在、駒澤大学4年)を抑えての優勝。「ユースで同級生に勝つことはできたが、到底届かないだろうと思っていた一つ上の学年の先輩方に勝てたことが嬉しかった。大きな自信になった。」ここでもう一段ステップアップし、近畿総体も1500mで優勝、全国トップレベルの1500m3分51秒04、800m1分53秒95のタイムを持ちながらも初めて出場する全国の舞台、岡山インターハイ。高1から順調にレベルアップしてきた彼だが、全国の壁にはね返された。結果は1500m予選落ち、800m準決勝敗退だった。だが、彼はあまり悲観的に捉えていなかった。「もちろん悔しい気持ちもあるが、初めて全国の舞台で走れて楽しかった。」反省としては「自分のレースができなかった」と振り返る。

日本選手権で先頭を走る高橋選手

彼のレーススタイルの特徴は先頭を引っ張ることだ。彼は初めての出場した日本選手権でも実業団選手が集う中、先頭を走っていた。先頭は風の影響を大きく受け、後ろでどのような展開が起こっているのか分からないという精神的辛さもあり、デメリットが大きいように考えがちだ。彼は「レースメイクできることがとても楽しい。直線で上げてカーブで落としたり、ペースのアップダウンで相手を削ることも出来る。」と笑いながら話す。高校生の段階でここまで考えてレースを組み立ていたことに驚いた。

インターハイチャンピオンへ
そして、高校最終学年。高橋が陸上界で一躍有名になったのが2017年の山形インターハイだ。前年の日本ユースでは4位入賞を果たし、全国規模の大会で経験を積み、昨年の借りを返そうと臨んだ本大会。ランキングトップということもあり、本命は1500m。スタートでやや出遅れるものの挽回し、好位置でラストの直線へ。先頭を走る留学生を抜きにかかったところを内側から学法石川高校の半澤選手(現在、早稲田大学3年)に抜かされ、結果は3位。それでもタイムは3分45秒10の好成績で兵庫高校新記録だった。「このタイムで負けるのかと思った」と振り返る。

山形IH1500m決勝(ゼッケン1083)

だが、1500mでの結果が800mの優勝に繋がっていた。「1500mで3位に入れたことで安心感もあって、逆にリラックスして800mのレースを迎えられた。」取材の中で、レースの映像を見て振り返ってもらうと、「腕が大きく振れているのに肩の上下動が少ない、腕が肩ごと動いている、この動きができている時はすごく走れる」と話してくれた。リラックスして良い動きが出来ていた証拠だ。当時、筆者が1500mのレース後、彼に連絡した際、彼は「800では王将もらってくるわ。」と返事があった。王将とは山形インターハイで優勝者に競技場がある天童市の特産に因んで贈られていたトロフィーのことだ。1500mが本命だっただけに本人も「まさかの結果だったと驚いた」と言うが、まさに有言実行の結果に感動した。

山形IH800m決勝(ゼッケン1083)

鳴り物入りでの北海道大学入学

高橋は最下段、右から2番目

高校3年になった段階で国公立大学に進学しようと決めていた。いくつかの私立大学から声をかけられていたが、自身の専攻したい内容を学べる大学はなかった。インターハイで優勝したことによって競技に没頭できる環境が整った関東の大学に進学することも考えたが、自信がなかった。「高校では結果を残すことができたが、大学でも良い走りができるとは限らない。」この謙虚さが彼を強くする理由の一つなのだろう。学生の本分は勉学であるという考えで、一般入試を突破し、国公立大学の北海道大学に進学する。迷わず陸上部に入部した。兵庫高校の時もグラウンドにトラックはなく、近くの公園の周りを走っていた。なので、練習環境が整っていなくても問題はない。だが、彼が苦労したのが練習メニューの作成だ。高校の時、自身の状態に合わせて顧問の先生に相談してメニューを変更することはあったが、北海道大学ではパート全体の練習メニューは決まっているものの、大きな大会に出る人が他におらず、その調整やスピード重視のメニューを個人で作成しなければいけない。監督にアドバイスをもらいながら克服していった。1年目の意識は受験のブランクも考慮して作り直すイメージだった。その中で、日本ジュニア800m3位、日本インカレ7位の結果を残すことができたことは上々の1年目だったと分析する。

北海道の冬

北海道といえば誰しもが想像する過酷な冬。彼も1年目、初めて迎える北海道での冬には悩まされた。北海道で冬に練習できる場所は室内走路だけ。室内走路とはスケートリンクの周りの通路にタータンを敷いて作られたものだ。そこへ毎日通うわけにもいかないので、雪の中をジョグすることも多々ある。1時間で10cm以上積もる吹雪の中、走ることもあるそうだ。砂浜ダッシュをしてるような感覚で、固まってしまえば氷になるので走れなくなる。初めこそ慣れなかったが、練習環境が整っていなくても関係ない、上手く対応することができた。

2度の大きな怪我から得たもの

北海道での冬を経て勝負の年だと意気込んだ2年目。ホクレンデスタンスチャレンジで現在のPBである3分44秒台をマークするも、数日後、右大腿骨の疲労骨折が判明する。そのまま約2ヶ月半歩くことも許されず、もちろんインカレにも出場できなかった。練習を再開することができたのが10月で、出場できる試合も日体大記録会しかなく、今季はロング要素の体力をつけようと切り替えた。その後の日体大記録会では5000mのベストを更新しすることができた。だが、冬季練習に臨もうと思った矢先、今度は左大腿骨の疲労骨折が判明。また2ヶ月半の練習中断。「高校生の時は大きな怪我をしたことはなく、長期離脱は1度もなかった。1度目は仕方ないと割り切れたが、2度目は精神的にも苦しかった。」と言いながらも怪我をしたことで得られたものも大きかったと言う。体づくりとして自重トレーニングを行うようになり、細かい筋肉に刺激が入り、走りに活かせるようになった。また、精神的な面でも新たな気づきがあった。走れない期間に「自分は走ることが好きなのか、それとも他人より速く走れることが好きなのか」と自問自答を続けたという。そこで、「怪我をして走れない自分は市民ランナーの方々よりも速く走れない。それでも、怪我が治り、ゆっくりでも走ることができた時、ただただ走ることが楽しかった。他人に勝つことは自己満足にすぎないと気づくことができた。」と話す。6月には元の状態の練習に戻ることができ、徐々に身体も戻りつつある。大学からの許可が下りず、7月のホクレンには出場出来なかったが、同じ日に行った個人のタイムトライアルでは3分48秒をマークするほどの仕上がりだったようだ。

タイムトライアルの映像(後方が高橋選手)*画像クリックで動画視聴可

そのタイムトライアルの映像を特別に見せてもらった。あまりスピードが出ていないように見えるこの走り。上下動が少なく、重心の真下で接地し、後ろに足が流れることのない滑らかなフォームは高校生時代から変わりないが、上半身に筋肉が付き、当たり負けしない力強さが加わったように感じる。

次の目標
そんな彼が次、ターゲットとして狙うのが今月新潟で開催される全日本インカレだ。先日行われた北海道インカレでは3分50秒66で優勝している。タイムこそは自己ベストには遠いが、設定した課題をクリアし、戦闘態勢が整いつつある。インカレでの目標については「(1500mで)高望みせず、3位以内」と話す。話す様子は至って冷静だが、彼の目の奥が熱くなっているように見えた。だが、インカレも彼にとっては通過点に過ぎない。大学陸上での最大の個人目標は国際大会への出場だ。「高校生の時に全国の舞台で争うことができたので、次は世界を舞台に走りたい」目標とするのは来年、中国で開催予定のユニバーシアードだ。開催されるかやや不安ではあるが、彼が日の丸を背負って走る姿を見てみたい。

駅伝に対する思い

今年、高橋は北海道大学の長距離パートのチーフになった。先月行われた全日本大学駅伝の北海道予選会でのチーム成績は全体2位。全日本大学駅伝の北海道の出場枠は1枠のみなので、残念ながら出場はできない。しかし、今年は中止になってしまったが、三大駅伝の一つ、出雲駅伝の北海道の出場枠は2枠なので、もし予選会があれば出場できていた可能性も大きかった。「トラックがメインにはなるが、駅伝はチームで戦いたいという思いがある。チーフとしてチームマネジメントにも力を入れたい。」駅伝でも高橋佑輔が全国の舞台で躍動する未来がそう遠くないかもしれない。非常に楽しみだ。

秘めたる想い
冒頭にもあったように常に自身のことを弱気だと話す。アスリートにしては珍しいのでは?と聞くと、「自分を資本にして何かを発信している人はすごい。尊敬している。」と答える。自身の強みは何かと聞いてみると、言葉を選びながら、「気が弱い自分でも表舞台である大学陸上の第一線で戦うことができている。その姿を自分のように内気な人に見せることで頑張る活力に変えてもらえたら嬉しい。その共感を広げることで何かを発信できればいいなと思っている。」最後に応援してくださる方について「とてもありがたい。でも、できればのお願いなのですが、僕は緊張しいでプレッシャーに弱いので声をかけてもらえるならレース後の方が嬉しいです。」と笑いながら話していた。

編集後記
YouTubeなどで自分を資本にして発信している人は自分に自信がある人が多い。でも、内気な人も秘めた熱い想いを持っている。高橋選手の取材を通して、そういうことを強く感じました。弱気なアスリート、高橋佑輔。日の丸を背負って走る姿を楽しみにしています。ありがとうございました。

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