東京大学医学部から日本の頂点へ。文武両道アスリートが見据える”日本女子三段跳び界”の未来  ー 内山咲良

東京大学医学部から日本の頂点へ。文武両道アスリートが見据える”日本女子三段跳び界”の未来 ー 内山咲良

2020.08.29
2023.12.13
インタビュー

「結果を出した今思うのは、ここまでくると自分だけの問題ではないということです。日本の女子三段跳び界全体に思いを馳せています。日本選手はもっと伸びると思うし、13m台の選手がもっと増えたら面白い。自分が記録に拘って突き上げる存在になりたいと思います。」

内山咲良。現在、東京大学医学部医学科の5年生。日々勉学に励みながら、陸上競技部の女子主将として、そして日本女子三段跳び界のトップレベルの選手としても活躍中だ。日本最高峰の学力を持った者たちが集う学舎で学び、そして、陸上競技においても全日本インカレ準優勝、日本選手権6位とトップクラスの実績を残している。そんな彼女の競技人生に迫る。

陸上競技との出会い

内山 咲良

私は中学校に入学してから陸上競技を始めました。部活見学の時には剣道部やダンス部と迷いました。ダンス部はキレイな先輩方が沢山いて魅かれましたが雰囲気が合わないかもと思い、剣道部の練習を見に行きました。ですが、偶然やってなかったんです。そのままフラフラと陸上部を見に行き、そのまま流れで入部しました。2年生までは走り幅跳びで4m台の記録でしたが、冬季練習を頑張って3年生で一気に記録を伸ばして5m11で東京都大会で7位に入賞できました。2年生までの自分は都大会に憧れはありましたが、自分が勝負できる(入賞できる)ような大会ではないと思っていたので、とても嬉しかったです。中学時代の部活は辛いことよりも、友達との楽しい思い出の方が多かったです。

夢の全国インターハイへ

内山 咲良

高校は筑波大学附属中学から高校にそのまま進学しました。1年生の時に5m22の自己ベストを出し、都大会まではイメージ出来ましたが、それより上の大会は思い描けてはいませんでした。しかし、顧問の先生に上を目指そうと言われ、冬季練習を頑張りました。2年生では記録を伸ばしましたが、東京インターハイで7位となり上の大会には進めませんでした。その年の夏合宿では、倒れるほど走りました。ちょうど全国インターハイが行われている時期だったので悔しくなり、「来年の夏は自分がインターハイに出て、こんなところにみんなを来させない!」と思わず顧問の先生に言ってしまいました。後で、先生から「悔しかったら強くなるしかない。」と日誌にコメントをいただきました。そこからスイッチが入り、関東高校新人大会で5m61まで記録を伸ばし5位に入賞しました。全国インターハイが手の届くところまで来ました。冬季練習も「よくあんなに頑張ったな。」と思うくらい追い込み、3年生では南関東インターハイで5m65の自己ベストを記録し3位入賞。全国インターハイに出場することができました。インターハイ本番ではとにかく調子が良く、決勝を狙っていましたが決め切ることができませんでした。その悔しさもあり、整理がつかないまま大学受験に突入しました。

陸上競技への思いを残しながら日本最高峰の大学へ

内山 咲良

全国インターハイが終わってからは、整理がつかないまま受験勉強をしていました。陸上の練習こそ離れていましたが、塾の帰り道はダッシュしたりと、心残りの部分はあったと思います。勉強については目標を明確に持っていたのでブレることなく合格をすることができました。大学でも陸上部に入りました。1年生の時はとにかく慣れることに専念。2年生は本当にしんどい一年でした。全く結果が出ない上に疲労骨折。冬も全く走り込めず。大学生活、授業、陸上、バイトで忙しくて、精神的にもキツかった。不幸になるためにやってるわけじゃない!と自分を見つめ直すことができました。女子選手が少なかったことから種目も短距離やリレー、その他の種目もマルチにやり過ぎていましたが、走り幅跳びに絞って、他は捨てよう、と割り切ってから状況は好転していきました。

全国レベルへと一気に駆け上がった秘訣

内山 咲良

大学3年目にしてようやく良いトレーニングが積めました。ウエイトトレーニングや体幹、腹筋などを地道にやりました。パワーマックス(固定式自転車)にも取り組みました。それでも走り幅跳びでベストが出ず、関東インカレで勝負したかったですが出ることも叶いませんでした。そして、3年生の冬に三段跳びに専念することを決めました。短距離の竹井コーチに練習を見てもらうようになってから練習の捉え方が変わり、一気に成長できました。今までは、(300m+200m+100m)×3セットというような練習をしたこともありましたが、それだと、100mあたりが13〜16秒という出力としては弱いトレーニングになっていました。それだったら、60mを10本を全力で走った方が試合に近くて強い出力が出せるとアドバイスをもらい、取り組みました。もちろん練習の量を落とす怖さはありましたが、やってみたら身体も絞れてきましたし、一気に走力もつきました。ウエイトにもかなり力を入れ、三段跳びに必要な、一瞬に力を集約させて出力する練習をしました。試合での出力に近いトレーニングを積んだ結果、4年生で一気に記録が伸びました。ベスト記録は3年時の11m75(大学日本ランキング72位)から、一気に13m00(同3位)にまで伸ばすことができ、全日本インカレでは準優勝することができました。

想定以上の成長、そして全日本インカレ準優勝

内山 咲良

大学3年生までは関東インカレにずっと憧れていました。3年生までガッツリ補助員をしていました。だから、4年生で関東インカレに出場でき、強い選手と同じ舞台に立てて、とても感動しました。試合に関してはチャレンジャーとしてメンタルは楽で、全て加点方式で考え集中できました。さらに、全日本インカレに関しては遠過ぎる舞台で、立てるとすら思っていなくて、実感のないまま挑みました。ですが、当日になって「行けるな!」と思うと流れで行けてしまいました。1本目から13m00を跳び準優勝することができました。12m70くらいは狙っていましたが、そもそも取りたい順位などはなく、行けるところまで行こうと考えて試合に挑みました。それがプラスに働いて良かったです。

2021年 大学ラストシーズンに向けて

内山 咲良

021年が学生としての最後の1年ですが、全日本インカレで12m90くらいで優勝というのは嫌で、13m50を目指しています。14m台は正直見えていないので、目指すなら根本から変える必要があります。今の形でどれくらい14mに近づけるか挑戦はしていきたいと思います。結果を出した今思うのは、ここまでくると自分だけの問題ではないということです。日本の女子三段跳び界全体に思いを馳せています。日本選手はもっと伸びると思うし、13m台の選手がもっと増えたら面白い。自分が記録に拘って突き上げる存在になりたいと思います。

編集後記

穏やかな話し口調の中にも、しっかりと強い芯のあることを感じさせるオーラがある内山さん。本文には記載し切れないほど多くの魅力が彼女にはありました。大学の授業、陸上の練習や試合、遠征、それに加えてアルバイトも。ただでさえレベルの高い東京大学の授業についていくだけでも大変なのに、医学部医学科の特性上、実習や研修も多く、その生活の中で心身ともに追い込むトレーニングも並行して行うのは並大抵なことではありません。また、中学高校時代は国際交流活動にも熱心に取り組み、韓国で災害教育をテーマに発表も行ったようです。また、スポーツ大会の実行委員長を務めるなど、その活躍については枚挙に遑がありません。それだけの魅力を持った内山さんですから、今後の活躍が楽しみでなりません。陸上競技だけでなく、多方面での内山さんのご活躍を応援したいと思わずにはいられませんでした。

INTERVIEWEE

内山 咲良

内山 咲良

東京大学 医学部医学科
東京都生まれ。筑波大学附属中学高等学校出身。東京大学医学部医学科5年生。中学時代に陸上競技を始め、走り幅跳びで都大会7位入賞。高校では大きく記録を伸ばし、南関東インターハイ3位入賞、全国インターハイ出場を果たす。その後、日本最難関の東京大学理科lll類に進学。現在は医学部医学科で勉学に励みながら、2019年全日本インカレにて三段跳びで準優勝を果たす。2020年には日本選手権に出場し6位入賞。医師を目指しながら、三段跳びで日本トップで戦い続けることを目指している。自己ベストは走り幅跳び5m78、三段跳び13m00。

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リクゲキ編集部

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