託されたバトンを胸に――主務として歩んだ、自分だけの箱根への道 山梨学院大学 ⽥中 邦岳

託されたバトンを胸に――主務として歩んだ、自分だけの箱根への道 山梨学院大学 ⽥中 邦岳

2025.12.22
インタビュー

野球少年だった彼が見つけたのは、「走る」という新しい才能でした。
怪我に悩まされ、思い描いた競技人生から遠ざかりながらも、挑戦する心だけは失わなかった。
大学では走れない現実に直面し、選んだのはマネージャーという道。
主務として背負ったのは、仲間のために厳しさも引き受ける覚悟だった。
これは、走らなくなっても箱根を諦めなかった男が、チームの中心で戦い続けた一年の記録です。

陸上との出会い――野球少年が見つけた新しい才能

競技として陸上を始めたのは、高校に入ってからでした。
中学までは野球部で、チームとしては上を狙える力があったものの、怪我が多く、思い描くような選手生活にはなりませんでした。そんな中、走り込みの練習中に、陸上部のコーチをしていたチームメイトのお父さんから「走ることに挑戦してみたら」と声をかけられたことが転機になりました。

迷いはありつつも、“走ることが好き”という気持ちがそれを大きく上回っていた――高校では長距離の道に進むことを決めた瞬間でした。

高校1年目は順調だったものの、23年目は結果が出ない日々が続きました。ようやく調子が戻り、走る楽しさを取り戻しかけた矢先、疲労骨折。それでも競技を続けたのは、高校からの同期である占部の勧誘で高校を訪れた山梨学院大学の前監督が、私に向けて「走りが綺麗だね」と声をかけてくださったからでした。
関東の大学から評価されるなら挑戦したい
そんな前向きな気持ちが芽生え、将来スポーツを学びたいという思いもあり、山梨学院大学への進学を決めました。

大学1年目――「ここに来た意味」を見失いかけた時間

大学入学後、ほとんど走れませんでした。高校3年で負った疲労骨折が長引き、歩くだけで痛む日々。練習に身が入らず、“自分は何をしにここへ来たのだろう”と悩み続けていました。

夏頃からようやく練習をこなせるようになったものの、寒くなると古傷が痛む。ベストは更新したのに、また走れなくなる――前に進んだと思った途端に後退する、そんな繰り返しでした。

それでも辞めなかったのは、
“関東に送り出してくれた親と高校の顧問の先生を裏切りたくない。ここで投げ出したら、何も残らない”そんな強い思いがあったからでした。

マネージャーへの転身――葛藤と決意

1年生の14日、「マネージャーはどうだ」と打診を受けました。“やっぱりか”という思いと、つい最近まで同じ立場で走っていた仲間を裏から支える立場になるという複雑さ。その両方が胸に渦巻きました。しかし、“任されるということは期待されている”

その事実に気づいた瞬間、腹が決まりました。“言われたからには、やる”そう覚悟を決めました。最初は辛いこともありましたが、選手の活躍が自分のこと以上に嬉しくなる瞬間が増えていきました。支える側の喜びを知ったのは、この頃でした。

主務として――仲間のために、あえて厳しさを選んだ

3年で主務に抜擢された時、動揺はありませんでした。
上に立つ立場として、チームが甘くならないよう、言うべきことははっきり言うと決めていました。普段は怒ったりしませんが、必要な場面ではあえて厳しく伝える。
監督は選手に厳しく言わないタイプだからこそ、チームに“適度な緊張感”をもたらす役割を自分が担うべきだと考えていました。

また主務として最も大切にしたのは、監督と選手の「橋渡し」になること
互いの思いを正確に伝え、誤解を生まないよう丁寧にコミュニケーションを重ねました。

後輩には積極的に声をかけ、良い点はしっかり褒め、課題は具体的に伝える。距離を置かず、寄り添いながら支えることを意識していました。

この一年――努力が報われた予選会

主務としての一年は、大変でした。それでも予選会を通過した瞬間は、全てが報われた気ように感じました。

夏合宿前は”箱根駅伝の予選を通らないのでは”と不安もありましたが、練習を重ねる中で選手たちの気迫が変わっていき、このチームで箱根に行きたいと強く思えるチームになっていきました。

結果は3位。あと一歩で1位だっただけに悔しさもありましたが、レース序盤から“いける”と感じられる力がありました。発表を待つ間も、不思議と落ち着いていました。

悔しさで言えば、全日本大学駅伝の予選会です。準備は万全で、選手の状態も良かっただけに、転倒やアクシデントが続いた現実は受け入れがたいものがありました。しかし、“箱根駅伝しかない”とすぐに気持ちを切り替えられたのは、チーム全員が同じ方向を向いていたからだと思います。

主務をやっていて良かったと思える瞬間

怪我から復活した選手がベストを更新した時。同期がAチームに入り、箱根駅伝に絡む存在へと変わっていった姿です。努力が実る瞬間を一番近くで見られる――それがマネージャーの特権ですし、やりがいを感じる瞬間です。

また、田原が日体大記録会で28分台を出し、レース後に満面の笑みで駆け寄ってきた瞬間や「レース中の声が聞こえて踏ん張れた」と言われた時も、本当に嬉しく胸に刻まれています。

 チームについて――仲の良さ

今年のチームの強みは、間違いなく“仲の良さ”です。

オフの日には、学年問わず遊びに行く姿が見られるなど本当に仲が良いです。

一方、練習では上級生が積極的に下級生を引っ張りながらも、時には後輩が先輩に「離れたらダメです」と言うほど、チームを全員で支え合っていると思います。

 それぞれの戦う覚悟

今年は。プラスで取り組む選手が多く、一人ひとりが“勝つために何をすべきか”を考えている。これが今年の最大の強みだと思います。

4年生は全員がチームを牽引する存在。キャプテンは見た目と違って誰にでも話しかけるタイプで、同期の3年生も“自分たちがやらないと”という意識が強くあると感じます。

個人的には同期の和田。

マネージャー就任当初から互いに支え合い、今でも一番身近な存在です。温泉に行ったり、マッサージをしたり、手がかかりますが、大切な仲間です。“自分の思いを受け取って走ってほしい”と思っています。

箱根駅伝。目標はシード権

シード権を取れる力はある――そう感じています。
勝負の世界に絶対はありませんが、選手たちの状態や空気感から、大きな手応えを感じています。当日が楽しみです。

 主務としての一年を一言で表すなら?

「疲れた」ですね。
しかし、その疲れの裏側には確かな充実がありました。“やってよかった”と心の底から思えます。

最後に──選手へ、チームへ、そして応援してくれる方々へ

選手へ

このチームはやれるチーム、やってきた練習は裏切りません。緊張せず、自分たちを信じて挑んでほしいです

監督・コーチへ

「自分を信頼しすぎでは?」と思うほど任せてくださり、感謝しています。特に阿部コーチは家族のように自分の相談にも乗ってくださり、迷惑もかけてしまっているかと思いますが、私にとってかけがえのない存在です。

家族へ

大学に送り出してくれたこと、自由にやりたいことを挑戦させてくれたことへの感謝を伝えたいです。箱根駅伝で走る姿は見せられなかったけれど、必ず恩返ししたいです

応援してくれる方々へ

近年は悔しい結果が続いたが、今年のチームは一味違うと確信しています。必ず応援したいと思ってもらえる走りを見せます!応援よろしくお願いします。

INTERVIEWEE

⽥中 邦岳

⽥中 邦岳

山梨学院大学 陸上競技部駅伝主務

WRITER

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熊谷遥未

2001年11月16日東京都出身。田園調布学園を経て法政大学に進学。2023年の日本選手権では、女子400m決勝進出という実績を持つ。自己ベストは400m54.64(2024年8月現在)。現在は、青森県スポーツ協会所属の陸上選手として活動する傍ら、2024年9月より陸上メディア・リクゲキの編集長を務める。